2015年 01月 26日

深夜のダンス





4550(2220×2)は、縦配置となって不思議と獰猛さが薄れた。

薄れたと言ってもそこは4550で、上手く操らないと吠えるのだが、それでもずいぶん従順になった。

ユニットの位置が高くなったせいかな。


いずれにしても、ポンと置いて鳴らし始めたのだが、さあ先ずはシステムの置き位置を調整していく。






この位置でスタートしているわけだが、一つだけ試したいこともあった。

それはホーンセクションの45度配置。


オートグラフやヴァイタヴォックス191のように、45度配置をして聞いてみたかった。

過去に使ったすべてのスピーカーでこれは確認しており、そこからじりじりとモディファイをしていった経験が多い。

オートグラフやヴァイタヴォックスはもちろんモノラル時代に完成されたスピーカーで、

つまりこれらをステレオとして使うことさえ想定しているはずはなく、

まして45度配置なんて夢にも考えるわけもない。

それでもあの45度配置でないと生み出されない音場感というものもはっきり存在し、

それを憎らしからず感じている私にとっては一度は試してみないといけない配置ではある。



4520システムがうちにやってきた時、この45度配置で大成功した経験もある。

あの時は、超強力オートグラフだ!なんて言ってはしゃいだ。

あの音を聞いたのはごんたどんくらいだな。



ただ、あの配置はもう無理だなとも感じていた。



うちのシステムのデジタル化が順調(?)に進むにつれ、

実はスピーカーが作り出す音場に大きな変化が起こっている。


前にも書いたが、デジタル化が進むと、左右のセパレーションが完全なものになるせいか(クロストークの排除が進むせいか)、

音像の定位というものが劇的に良くなる。

いや、良くなるなんて言うより、全く新しい次元になるように思う。

うちのシステムの場合は再生系の機器以外はモノラル化しているのでその効果も大きいのかもしれない。

今までだったら中央のボーカルの定位を明確にするために左右のスピーカーの内ぶり角を大きく取ったりしていたが、

デジタルのセパレーションが確立すれば、中央の定位はそこまで内ぶりさせなくとも十分確立でき、

いや、そのままでは中央が充実しすぎて違和感さえ覚える。

もっと内ぶり角をゆるくし、左右への音場の広がりを求めてやることが、中央のすっぽ抜け無しに可能になる。

少し前から流行っている平行法などというスピーカーをまっすぐ正面に向ける置き方も、

このデジタルの進化によって知らず知らずのうちに広がってきたものかもしれない。


それにしても、私にとっては一度は経験すべき45度配置だから実際にやってみた。

結果は、

それはそれは酷いものだった。



   -^-^-^-^-^-^-^-^-^-^-



うちのモノリスは、恐らく現代の最も進んだ(?)ホーン理論によって設計されている。

もともと、ホーン特有の正面でのビームがほとんど形成されないという驚くべきもので、

これは実際、初めてモノリスを鳴らした時にびっくりしたことだった。

初めて正面で聞けるホーンだと思った。

2360シリーズなどのバイラジアルホーン(CDホーン、マンタレーホーン)も、正面でのビームを無くすような設計ではあるが、

実際に使ってみると、やはり少しはビームを感じる。

しかし、モノリスでのこの新しい(といっても発表からずいぶん時間が経ってはいるが)2392ホーンや2352ホーンなどのオプチマイズドなんとかホーンは、

本当に正面で聞いてもうるささをほとんど感じないんだ。

びっくりだよ。




残念なことに、このオプチマイズドなんとかホーン以降には新しいホーン理論が出てきていない。

私が知らないだけであることを心から願いたい。。




このデジタル化による音場の作られ方と、ホーンの特徴もあり、45度配置は早々に却下された。




では、とりあえずモノリスはほぼ正面に向け、

さあ4550の位置を探っていこう。



深夜になると、

私は4550を抱擁し、


いや、抱き付き、


いや、取り付いて、



押す。。。





こっちを向いてくれー!  と叫びながら、




引く。。。











寒さも足元から襲ってくる深夜に汗をにじませて、




う~む、

これもオーディオなのか?



# by johannes30w | 2015-01-26 23:17 | オーディオと音楽 | Trackback | Comments(1)
2015年 01月 18日

新マンハッタンシステム始動

みなさんありがとうございました!





# by johannes30w | 2015-01-18 01:08 | オーディオと音楽 | Trackback | Comments(4)
2015年 01月 16日

オカルト

ダークサイドボリュームシステムのBluetoothリモコン化を達成しようと、

ご家老が頑張ってくれている。

現状でも肝心のボリューム操作はアップルの赤外線リモコンで可能なのだが、

その機能の最大の目的である各チャンネルごとの細かなゲイン設定も、

今は本体の小さな液晶パネルを覗き込みながら行っていること全てをBluetoothで飛ばして、

PC上で全体を見ながら設定できるように頑張ってくれている。




先日も、その具合を確かめに、正月早々遊びに来てくれた。




今回は、Bluetoothユニットの電圧の確認のためであったが、座長にも来てもらった。

座長がそういうユニットを得意としていらっしゃるわけではなく、

現状のマンハッタンシステムの音を聞いておいてもらおうと思ったんだ。




前々回くらいから書いている通り、

うちにモノリスが出現した。

こいつはマンハッタンシステムを、根底から変革してしまうかもしれない。

ということは、十数年に渡って築き上げてきたシステムを、

全くゼロに戻す可能性があるということになる。

一旦システムをバラしてしまうと、たとえもう一度同じものを組んだとしても、

その音は二度と聞けないのは誰もが知っている。




座長には何度も「聞かせろ!」と脅されていたし、

ご自宅まで呼び出されたりもしていたので、

もうこれは聞いてもらわねば仕方がない。

今この時を逃せば、次にマトモな音になるのはいつのことやら判らない。




ということで、

メールした。




「ひこさんが来てくれるので、座長もいらっしゃいませんか?」













返事は、




「うぎゃーーー‼︎」













なんじゃこりゃ。。。



















とにかく当日、ひこさんと座長が来てくれた。

ひこさんはテスターを片手にサクサクとチェックし、次の手を確認してくれた。




その後、座長には少しばかり聴いてもらった。

JAZZボーカルを鳴らしていたと思うが、しばらく聴いてもらった。

その後、

座長自身がCDを持ってこられているようで、それを鳴らしたいと仰られた。

まあ座長だし、ここまできて断る理由も無いので鳴らしてもらった。




果たして、松坂慶子の「愛の水中花」だった。




座長にはある程度喜んで貰えたようだった。

座長のコメントは、あの気遣いから来るものが大きいので、

もしも褒められても30%くらいに思っておかないといけない。




しかし私はこの松坂慶子を聴いて、ちょっと複雑だった。

私の音だから仕方ないとはいえ、

ちょっとお色気が無さ過ぎる。




お色気ムンムンは苦手なのでそういう音はどうしても避けてしまうのだが、

それにしてもあんまりだと思った。




座長には言えないが、後ろで聞きながら、どうしてこうなっているのか考えていた。
















聞いてもらった後も、暫く三人でワイワイ話していた。




座長の話はすこぶる面白い。




面白いが、関西人には珍しくオチが弱い。




オチが弱いのに面白いのは、座長が常に全力疾走状態であるからで、




この全力疾走が凄い!




いつ果てるとも知れない全力疾走が延々と続く。




最近とみに体力低下を自覚している私にとって、




これに完全について行くのは至難の技で、




ついて行けなくなった私はいい加減な返事になったり、




返事もしなくなったり、




時には知らん顔もしてしまうのだが、




そうなると座長はいきなりギアが外れて一気に尻すぼみになって、




これが実にかわいい。










座長は高校の後輩で、




この「高校の」というのが微妙で、面白い。
















その晩も、お二人に深夜まで付き合っていただいた。




ありがとうございました。








































翌日、




昨夜の松坂慶子がどうしても気になる。




もう少しお色気が何とかならないものか。







解決策は、もう思いついていたから、直ぐに実行した。




少しやり過ぎたので、ちょっぴり引き締めて、




うんうん、これでもう言うことないだろう。










マンハッタンシステム解体のX−dayはもう決まっている。




一旦解体すれば、私自身も二度とこの音を聞けない。




今聴かずにどうするんだ!










CDを取り出してきた。
















これはアバド、ウィーンフィルの演奏で、ブルックナーの5番。




これを初めて聴いた時のことはよく覚えている。




アバドのブルックナーなど、想像も出来なかったのだが、




その余りに自由な呼吸にびっくりした。







様々なアバドを聴いてきたが、こんなにびっくりしたのは初めてだった。




それまでの、いや、今現在までのものも含めてこんなブルックナーは存在しない。




あのドイツ本流の最後の砦とも言えるそれまでのブルックナーとは全く違うブルックナー。




この真意がどうしても違和感を拭えず、とうとう今まで一曲通して聞き通せなかったブルックナー。













これはライブ録音らしいが、一時のあの酷いDG録音を乗り越えた素晴らしい録音!
















この解放されたブルックナーはベルリンではなく、確かにウイーンとでしか成し得なかったのかもしれない。







もはや既成概念に縛られることなく解放された音楽は実に瑞々しく伸びやかだ。




それは生き生きとした美しさと音楽の歓びに満ちている。




こんなブルックナーは、アバド以外には表現できないもの。













アバドのレコードも、散々聴いてきたが、ほとんどのレコードで不満なのが、そのダイナミックレンジ。




アバドのレコードを聴いた人の感想で良くあるのが、音楽が「薄い」ということ。




それを言いたい気持ちは良くわかる。




しかし現実は全く違う。




一度でもアバドのライブを聴いた人なら判ってもらえるだろうが、




アバドの音楽は、実にダイナミックなんだ。




レコードやCDではその限られたダイナミックレンジのせいか、




アバドの音楽の魅力が伝わりにくい。




MP3で聴くアバドなんて最悪だ。










もしかしたら、実はオーディオ装置に一番厳しい音楽をする指揮者なのかもしれない。



















なんとアバドのブルックナーを一気に聴き通してしまった。




気分は高揚し、次のCDをいそいそ取り出す。



















シューリヒトの指揮でブラームスの4番。




昔からレコードではよく聴いたが、これはCDによる再発盤。




変なレコードよりずっと良く復刻されていて嬉しい。










自然体なのだが厳しく熱い演奏。




しかし何故だかロマンティック。




こんなにどきどきするのは、その音楽が、むきだしの音楽そのものであるせいだからか。




あんまりせつなくて身体がもちそうになかったから、




第三楽章が終わったところで少し休憩した。







第四楽章冒頭の、あのホルンが響き渡る瞬間に耐えきれなくて、思わずCDを止めてしまったんだ。







深呼吸した。




椅子から立ち上がり、失礼だなと思いながら、少し部屋を歩いた。













椅子に戻り、ふと気がつくと、




左チャンネルからノイズが出ている。




最初は気のせいかとも思ったが、いや、これはおかしい。




アンプを見にいくと、




案の定と言うべきか、




左のミッドローを担当しているアンプリトンの一本の出力管が真っ赤に燃えている!










急いで電源を落とした。
















真空管との追いかけっこがもう始まったのか!







嫌になるから敢えて数えていないが、




今のシステムで使っている真空管の数はかなりの本数になるはず。




出力管は、はっきりと寿命があり、当然スペアも用意する必要があるとはわかっているが、




それでもスタートを切ったばかりのこの時期にもう始まってしまうとは思ってもみなかった。




宿命とはいえ。
















結局、ブラームスは聴き通せなかった。




再び沈黙する我がシステム。












信じたいが信じられない、でも大好きなオカルト的なことが頭をよぎる。




これは、




バラされることを判ってしまったシステムの反乱か?













それとも、バラさずに続きを聴いてくれというシステムの最後の願いか?















# by johannes30w | 2015-01-16 01:44 | オーディオと音楽 | Trackback | Comments(5)


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