2009年 11月 25日
オーディオが変化すれば、聴く音楽まで影響を受けて変わってくるとよく言われる。 そうなのだろうか。 自分ではよく判らない。 私のシステムは、オーケストラを聴くために構築してきた。 家の大きさを考えた時も、自分が理想とするオーケストラ再生を念頭に置き、 そして決めた。 再びオーディオをやり始めた時も、 オーケストラは無理でも、せめて実物大の弦楽四重奏団を再現できるようにと4355を必死で買った。 しかし、結局4355をかなぐり捨てて、やはりオーケストラ再生に打ち込んでいった。 そして出来上がってきたのが現在のマンハッタンシステムなんだ。 しかし、 最近オーケストラ以外のものを聴くことが多い。 どういうわけだ? 好みが変化してきたのか? 少し前から、シューベルトのピアノソナタをしっかり聴きたいと思うようになっていた。 聴きたいと思いながらも、いつものようにそれを探す行為はしていなかった。 想いが本当ならいつか巡り会うだろうと、それは確信に近いもので、 そういうふうに私は音楽と出会ってきた。 先日、出張先でふらっと入ったオーディオショップでレコードを売っていた。 ざっと見ていくと、シューベルトのピアノソナタを見つけた。 ブレンデルが弾くシューベルトの晩年のピアノ作品集 およそブレンデルなんていうピアニストは、私にはどうでもいい演奏家だった。 なんといってもその恐ろしい容貌から、私にはあまり聴きたくない演奏家には違いなかった。 もちろん何度か聴いたことはあったが、これといった感想も抱けずに今までいた。 音楽との出会いは今までだってずっとそんなふうで、 このレコードを見つけた時は、ブレンデルなんだけど、何故だかやっと出会えたような気がした。 このレコードは、残念ながら国内盤で、そういう意味でも自分でも良く買ったなとは思うのだが、 そこにはフィリップスへのなんとなく感じている信頼のようなものがあったのだが、 しかし、やはりこれは国内プレスではあった。 まごうことなき国内プレスの音がした。 私はレコードを買うのにオリジナルでなければならないと宣言するほどのこだわりは無い。 もちろんオリジナル盤の音の素晴らしさは十分知ってはいるが、自分の欲しいレコードを、 全てオリジナル盤で揃えられるほどお金は持っていないし、そうそう簡単に巡り会うことも無い。 では何も拘りがないのかと言えば、これは大いに有って、私はプレスされた国を考える。 昔からの経験上、私は先ずは英国プレスを好む。次に独逸プレスが安心で、仏プレスは質は良いが音が独特だ。 仏プレスしか無い場合は、ビフテキの音がする米プレスも考えるが、仏プレスと米プレスしか無い場合は、まず買わない。 フィリップスの場合、当然のように蘭プレスも非常にいい。 国内(日本)プレスは、その違いをはっきり知ってからは、全く買わなくなった。 プレスごときで何故あんなに違ってくるのか良く判らないが、違うのだから仕方が無い。 CDの時代になって、国ごとのプレスでの音の違いはなくなっただろうと思ったが、 それでも昔の癖は抜け切れなくて、今でも可能なら国内盤は買わない。 最近、偶然だが同じアルバムの国内盤とアメリカ盤を聞き比べる機会があったが、 悲しいかなCDでも国による微妙な音の違いは存在していた。 困ったもんだ。 話がそれたが、、、、 最近とみにフィリップスというメーカーに信頼を置くようになってきた私は、 気にはなったが、この国内盤のレコードを買った。 音は、 フリップス盤の、あの全帯域に渡る豊かなソノリティをほとんど失っている。 帯域間のあの素直なバランスが消え失せ、作為的な(ハイファイ的な)ギクシャクしたバランスが与えられていた。 残念だ。 しかし、 聴こう。 出会えた音楽に、耳を傾ける。 確かに自分の聴き方が変わってきたことが判る。 以前に比べても、音の一つ一つのニュアンスを聴き取れるようになってきた。 いや、 音楽において、一つ一つの音のニュアンスがどれほど大切か、 それにやっと気付いたと言った方がいいかもしれない。 それに気が付いて、改めて音楽を聴く時、 そこに込められた作曲家や演奏家の心の無限な広がりを感じる。 ただこういう聴き方は、つまらない演奏をはなから拒否してしまうし、 こちらの集中力も、莫大なものを要求される。 それはそうなんだ。 天才などと言われる作曲家が、どれだけの情熱を傾けて曲を創るか。 演奏家たちが、どれほどのエネルギーをその演奏に注ぎ込むか。 それに気が付いた時、 いま目の前に発せられたその音の一つ一つに、 そのニュアンスの一瞬一瞬の変化を聴き漏らすわけにはいかないんだ。 オーディオが、音楽を聴くためのものであるかぎり、 そのあり方は、自分の音楽の聴き方を代弁するものであるのかもしれない。 自分の嗜好の表現ではなく、音楽への接し方の形となった存在なのかもしれない。 シューベルトの響きは、何故だか私の身体の芯まで届く それが幼い頃の体験のせいかどうかはわからないが。 私の最初の音楽体験は、シューベルト。 もちろん音楽はいろいろ聴いていたはずで、記憶は残っている。 しかし、その音楽を聴いて何かを感じることこそが音楽体験であるとするなら、 その最初の体験はシューベルトなんだ。 いくつの時かは忘れたが、シューベルトのアベ・アリアを聴いた。 ものすごく恐かった。 なぜ恐く感じたのかは判らないのだが、 悲しくなるほど恐かった。 恐かったのだが、 また聴きたくなった。 聴くと、また恐かった。 聴くと、白い石のモニュメントが見えた。 あたりは緑におおわれている。 霧のかかった早朝のように、静まりかえっている。 何の気配も感じられず、空気さえ動かないが、 澄みきっている その済みきる度合いが凄すぎて、 凄すぎて、 恐い ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ シューベルトの響きは、本当に赤裸々であるから、 演奏家によってはその音楽があまりに図々しくなってしまって、 こちらが恥ずかしくって聴いていられないことさえある。 そういう意味で、実は非常にデリケートな音楽なんだと感じる。 あの有名な「鱒」においてもそうで、 有名な演奏家の演奏でも、図々しいものがあまりに多い。 そんなふうに感じるのは日本人だけかとも、私自身も思っていたが、 いや、たしかにいい演奏はあって、決して図々しくでしゃばるのではなく、 ちゃんと表現しながら、瑞々しく演奏してくれる。 そんな演奏に接することは、実に心地よい。 シューベルト後期の作品においてのその素晴らしさに気が付いたのは、恥ずかしながら最近のことで、しかしそれは多くの瑞々しい演奏に触れることができたおかげなのだが。 演奏による音楽への理解が変化するということは、非常に恐ろしいことではあるが、 これは音楽が持っている根本的なありかたに起因するものであるから致し方ない。 楽譜があるだけではそれは音楽ではなく、それは演奏され音となって初めて音楽となると言ったのはマーラーだったか。 酷い演奏で、音楽がぶち壊しになっていまうこともあれば、逆に素晴らしい演奏で音楽が甦ることだってある。 オーディオで恐ろしいのもまさにそこで、 オーディオによって、素晴らしいはずの音楽が、何故だかつまらないものになってしまう。 逆に、素晴らしい音楽が、よりいっそう美しく魅力的に響いてくれたりする。 最近、Mさん率いる16インチ~’sの一員として、でかいターンテーブルに取り組んできた。 ボロボロのゲイツCB-500を数ヶ月かけてじっくりレストアし、私自身も驚くようなパフォーマンスが得られた。 CB-500というのは、いろいろ触ってきた実感として、やはり名機に違いない。 構造などの詳しい話はもう書かないが、ゲイツ社が作り続けてきた16インチターンテーブルの最後の作品であるだけあって、それまでのゲイツ社のノウハウが詰め込まれ、多くの16インチターンテーブルの中でも最も洗練され、完成されたターンテーブルだと思う。 あんまり素晴らしいのでプレーヤーベースを作ったのだが、kenplinさんの目にとまり、持って行かれてしまった。 今、取り組んでいるのはCB-100というターンテーブルで、CB-500の前の機種になる。 構造も、少し原始的だ。 原始的だが、 アイドラードライブというものは、モーターの回転をゴムアイドラーを介してターンテーブルに伝えるものだ。 一般的にはそのアイドラーはターンテーブルの下に仕組まれ、その外周を駆動する。 ガラードも、EMTも、このCB-100もそうだ。ただCB-500はちがっていて、ターンテーブルの内周を駆動する。 EMT927は、ターンテーブルの上にアクリル(?)又はガラスのサブターンテーブルを載せ、その上にレコードを載せるようになっているが、 このCB-100は、大きく重たいワンピースのターンテーブルにそのままレコードを載せる。 簡単に想像が付くとおり、 同じ外周を駆動するにしても、12インチのターンテーブルの外周を駆動するよりも、16インチターンテーブルの外周を駆動する方が、当然大きな力が得られる。 ましてこいつに付いているモーターは、巨大なものだ。 不思議なもので、大きな力で回されているという事実は、直接音に関係してくる。 つまり、 12インチターンテーブルなどいざ知らず、CB-500よりもはるかに力感のある音がする。 不思議なもんだ。 音の立ち上がり、パルス的な音の力の乗り具合など、こたえられないモノがある。 それはCB-500でさえも得られなかったものだ。 ピアノを聴いて、その本来の音の立ち、強さ、エネルギーを再現するのは至難の業には違いない。 サロンでゆったり流れるピアノを聞くことはよくあるかも知れないが、そればかりがピアノではない。 やはりピアノは打楽器なのであって、演奏家がその鍛えられた肉体と精神を駆使して繰り出されるその音を、 音の一つ一つを再生しようと考えるならば、感じ取ろうと考えるならば、 その鐘を打ち鳴らすような響きを十全に響かせようと考えるならば、 アタックの強さの再生は、何よりもまして先ず必要なこと。 そう考えていけば、スタートラインとしてはこのCB-100が最適に思えてくる。 CB-500をしのぐそのアタック感は素晴らしい。 ピアノソロなど聴いていても、その音の立ちに耳がしびれてしまう。 そんな経験は初めてのことで、非常に驚いたのだが、確かにこの立ち上がりが凄いといか言い様が無い。 JAZZドラムが好きな人には、まさに堪えられないに違いない。 私だってドラムが聞きたくなる。 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ ピアノの再生は、実は非常に厄介だ。 ワウが一番顕著に感じられてしまうのがピアノの再生。 鍵盤が叩かれ、音が立ち上がり、そして響いていく。 その響きの再生が難しい。 その昔、カセットデッキが全盛だった頃、しかしピアノの録音再生がまともに、いや、不満無く出来る機種は、 とうとう存在しなかった。 オープンリールデッキの圧倒的な優位性をイヤと言うほど思い知らされるのは、先ずはここなんだ。 これは不思議なことにカタログデータからは全く解らない。 カタログデータなら、当時のカセットデッキだって相当凄い数字を誇っていた。 オープンリールデッキの数字など目じゃないくらいの数字だったはずだ。 しかし、 ポーンと伸びるピアノの響きを再生した時、 カセットデッキはその音の美しさを表現できない。 データ的には一桁も悪い性能のオープンリールデッキが表現するえもいわれぬ安定感、 その安定によって初めて表現できる美しさをとうとう表現できない。 なぜそういうことが起こるのか。 その訳をしっかり考えてみることは、非常に大切なことだね。 私が使ってきたレコードプレーヤーにおいて、私がその美しさを最も感じることが出来たのは、 レコカットのベルトドライブであった。 しかし、レコカットのベルトドライブにはこのゲイツCB-100のアタック表現は無理。 大方の人が予想できとおりの結果を実体験してきたわけだが、 ではどちらを選択するかということになる。 プライオリティをどちらに置くかということではあるが、 ここで大切なのは、どちらを選択するかを決めるということではなく、 どちらが得がたいものであるかを考えることなのだ。 簡単に分類してみれば、ベルトドライブは美しさを表現し、アイドラードライブはアタックを重視できる。 それではどちらから攻めるとその両方が得られやすいかを考える。 完全なる両立は難しいにしても、その落としどころはあるに違いない。 だから私はこのCB-100で美しさを求める。 方法は無限 どこまで行けるか
by johannes30w
| 2009-11-25 01:27
| オーディオと音楽
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