ジンガリは素晴らしかった。マットブラックのボディにディティールだけが浮き上がるウーハーと、いやが上にも何かを期待させるあまりに美しいウッドホーン。全体としてはシックな上品さを醸し出している。しかしその内包させるエネルギーは隠しようもなく、それに気がついた者には恐ろしささえ感じさせる。
まさに美しいと言わしめるスピーカーで、私だってこのスピーカーが発表された時は、興奮した。
スピーカーにかかわらず全てのモノは、存在するが故の宿命として、その存在理由を求められる。概して二つの方向性があり、まずはその機能ゆえに存在するもの。さらに機能よりも美しさゆえに存在するものがある。美しさや、しゃれたセンスのよさだけで存在できるスピーカーもある。ジンガリは美しい。しかしこのジンガリは美しさだけで存在するスピーカーではない。美しい音を出すことを強く要求されてしまう存在だ。ここにジンガリの存在としての哀しさがある。
さらに
ここにジンガリを愛してしまった男がいる。
なぜ愛してしまったのかは知らない。むしろどうでもよい。
とんでもない苦労の末に自分のものにしたようだ。
何度も裏切られてる。
ひどい裏切り方だ。
しかし彼はそれを許した。
許しはしたが、容赦はしない。
彼はジンガリをひっぱったき、引きずり回し、投げつけた。
ジンガリはズタズタだ。
しかし彼はもっとボロボロになってる。
愛すると言うのはこういうことなのか
彼はジンガリに自分の理想を見たのか、それとも押し付けているのか
彼と美しいジンガリ