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2007年 04月 21日

至福のバッハ

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先日、少し話題にしたのがこのバッハのCD。
焼き蛤さんに教えていただいたもの。

これを寝る前、いや、ベッドに入ってぼんやり聴くのがクセになっていた。
このシリーズは、他にも数枚あり、二三聴いてみたが、やはりこのアルバムが最も好きになった。
私などは、ベッドにたどり着かず、そこら辺でうたた寝してしまって朝を迎えてしまうことも多々あるのだが、これを聴いていた頃は、これを聴くのが楽しみで、毎日ベッドにもぐり込んでいた。

しかし、問題はここから。

システムの体調が崩れたとき、それでもやはり毎日寝ないと身体は持たないわけで、ベッドに入る時はこれを聴いた。

が、

実につまらない。
もともとベッドサイドで音がどうこういうつもりは無いし、別に音なんてどうでもいいと思っていた。
だが、
違う演奏みたいに気持ちがこもらない演奏に聴こえる。

あれ~、これってこんなにつまらない「演奏」だったんだと思ってしまった。


これが問題



昔から、オーディオの必要性について、いろいろ言われてきている。
ラジカセで聴いても音楽は音楽と、当然のように言われ、また、何故だか後ろめたく感じているオーディオファンもたくさんいる。
私自身だって、ここまでオーディオに死に物狂いにならなくてもいいんじゃないかとどこかで思ってきた。頭では、もしくは人様に対しては、オーディオをつめることで、音楽から受ける何かがいっそう大きなものになると、物知り顔で答えてきた。
しかし、やはりどこかで、音楽を聴くのにここまで・・・・・と思ってきた。

でも、先日来のこの経験で、いっそう確信を持つようになった。

音楽を聴くのに、しっかりとしたオーディオは不可避のもの。
いや、オーディオを軽視した音楽経験など嘘っぱちだ。



音楽を経験するということは、単にメロディーや、リズムを感じ取るだけのものではない。
その作曲者や、演奏者がそこに込めたもの、その人間としての感情、考え、生き様、その全てを感じ取るべきもの。
であるなら、それが感じ取れない音楽、それを再生するオーディオなんていうものは存在する意味が無い。

私が改めて驚いたのはそのこと。

いい加減な調整でのオーディオであっても音楽のメロディーやリズムくらいはわかる。
しかし、ひどくつまらなく思えたのは何故か。
それは音楽家の息遣いが聴こえてこなかったから。
音楽家の息遣いが聴こえなかったから、その演奏が酷くつまらないものに思えた。

これは非常に危険なことだと思った。
オーディオによって、演奏はもとより、その音楽自体の評価が変わってしまう。

なんと恐ろしいことだ


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これはボザールトリオが演奏したブラームスのピアノ四重奏曲

有名なのはやっぱり1番で、最近もクレーメル・アルゲリッチ・マイスキー・バシュメットが演奏した喧嘩みたいなCDが出て、あれも面白かった。
でも、どっぷり嵌れる人なら2番もじっくり聴いて欲しいな。
2番は曲の構成も大きく、シンフォニーみたいな感じさえ受ける。一般的には1番と比べて散漫であるという評になってはいるが、その第二楽章にゆったりと身を任せてほしいな。
ボザールトリオはその音色も美しく、たしかレコード時代もその録音のすばらしさが評判になったような気がするが、まさに馥郁たる響きに陶然とさせられる。

このCDも、その美しい響きが再生できない限り、2番など実につまらない曲となってしまう。
こういうことは、現実のコンサートではありえないことで、演奏家はその美しい響きをホールに響かせる義務があり、いい演奏家ほどホール全てにいい響きを行き渡らせる。
美しい響きを行き渡らせることができない演奏家は、したがってつまらない演奏家であるということになるわけで、当然、曲もつまらなくなる。

現実のコンサートでは、したがってすべての責任が演奏家にかかってしまうわけではあるが、我々が家庭でレコードやCDなどでこれを再生する場合、もう一つの問題が発生する。
 オーディオの問題。

いくら演奏家と録音エンジニアが丹精込めて美しく録音したとしても、いいかげんなオーディオでの再生で、その美しさが再現できなければ、これは作品はもとより演奏家の意図もぶちこわすことになってしまう。

われわれオーディオファンは、そのことを肝に銘ずるべきだ。



菅野沖彦氏の提唱する「オーディオ演奏家」という言葉が重い言葉として思い出される。

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これはヴァントのシューベルト交響曲全集。
この価格でこの演奏、しかも全集が買えるとは、一昔では考えられない。

話はそれるのだが、最近の価格というのは安すぎないか?
ありがたい話ではあるのだが、ここまで安いと安直に買って、それほどのありがたみも感じずに聴き飛ばしてしまうんじゃないだろうか?
レコード時代を懐かしむつもりはないが、あの時代、一枚一枚一生懸命買って、そのぶん一生懸命聴いていたように思う。

もちろん演奏はすばらしいもの。
晩年のヴァントとは少し違うようにも思うが、ヴァントらしい厳しい演奏。
そのぶんシューベルトの優しさ、美しさが際立つ。

一般にはなじみの薄い初期の交響曲も一曲づつ聴いて欲しいな。
チクルスではないが、そうすることで見えてくるものも非常に大きいものがある。

このCDはRCAレーベルのもので、リマスタリングされている。
元々はハルモニアムンディの録音。
ハルモニアムンディは、私が最も好きなレーベルの一つで、メジャーレーベルには望みようも無い自然で奇をてらわない(そのぶん一般受けしにくいような)録音をしてくれる。
このCDが、帯に謳われているように非常に優れたリマスタリングが行われたどうかはしらないが、ハルモニアムンディレコードのすばらしい録音を100%生かしているとは言えないものの、かなり魅力的なCD化が行われたとは思う。


ま、はなからCDを作るならまだしも、レコード時代に録音されたものならCD化する時にはリマスタリングは当然行われるべきだよね。録音時にはどのみち弄り回されてるわけで、それがレコードを作るためのものだったのなら、そのままCDをつくることはレコード会社の怠慢と言い切ってもいいように思うな。


この演奏、ヴァントらしい厳しいものだと書いた。毅然とし、かっちりとした構成、骨格を持つ演奏。シューベルトの音楽として好むかどうかは聴き手しだいだが、すばらしい演奏であることには違いない。



極端なことを言えば、この演奏ならオーディオ装置によるダメージは最小限に済むかもしれない。



しかし、

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晩年のジュリーニによるこんな演奏なら、お手上げだ。
不十分な調整によるオーディオから受けるダメージは計り知れない。

ヴァントの演奏がそうではないとは言わないが、この晩年のジュリーニの演奏、その一音一音に込められたニュアンス、感情、思い入れは計り知れない。不謹慎な言い方かもしれないが、一瞬一瞬がスリリングだ。

こんな演奏、その一音一音の再生が十全にできない装置で再生すれば、それはただのぼんやりした演奏に聴こえてしまう。


恐ろしい演奏。

その演奏を再生するのは我々オーディオファンの義務だ。









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KJラボ邸に行ってきた。
パラゴンを台に乗せる手伝いをしてきた。
オーディオをしたいのに手伝いが必要なためストップしてしまう辛さを知っているから。



で、

一台のアムクロンのチャンデバをかっぱらってきた。

一台は私がもともと持っていたもの。

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比べてみると、2台は見た目からして違う。
ボディが赤っぽいのがかっぱらってきたアムチャンで、こっちの方がシリアルが若い。

面白いのはトランスの固定方法。

私のほうはボディーから浮かしてある。
これがメーカーオリジナルかどうかは解らない。


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オーディオ機器のブラックホールたるKJラボから機器を助け出すにはかっぱらってくるほか無いわけだが、かと言って、私に必要なのは一台なのであって、今すぐ2台が必要なわけではなかった。

いくらこのアムチャンが好きだとはいえ、すぐには必要ない機器をかっぱらってきた自分を考えてみると、私もまたガラクターズの血が流れているのかもしれないと思い至り、愕然となるのである、、、、。
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by johannes30w | 2007-04-21 13:20 | オーディオと音楽


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