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2007年 05月 26日

尾張 春の陣 第一日目 (まだまだ文字ばっかり)

ごさ丸氏を訪れるのは何回目だろうか。
初めて訪問した時の驚きはともかく、、、、、、


大阪出発が手間取り、思ったより遅くなった。
2時半ころだったか。


今回の訪問にはODさんも参加された。
東京から新幹線でいらっしゃるらしかった。
グリーンかどうかは知らない。


2時半にごさ丸邸に到着すると、すでにODさんはいらっしゃってる由。
さすがに気合入ってるねぇ~


ごさ丸さんが玄関前まで出てきてくれたわけだが、一言二言交わすうちにODさんも出てきた。
相変わらず正体不明の顔してる。


出てきたものは仕方が無いから荷物の運び込みをやってもらう。
ODさん、これも相変わらずぶつぶつ言ってるが、だいぶ我々に慣れてきたらしく動きがいい。

荷物を部屋に運び込み、お茶をいただく。

ODさん、妙に神妙・・・・。

まあ、そりゃそうだわな、
ごさ丸システムのドラムを聞いた日にゃ、どんなシステム持ってきたっておもちゃに聞こえる。


こういうのはかわいそうだがほおって置くしかない。

暫くうだうだ喋っていると、ODさん妙に元気が出てきて自分のCDをかけまくる。
今まで何してたの?

私の顔を見て少しは安心したか?(どんな顔か?)




今回の名古屋訪問は、実は自分としても目的があった。
それはアンペックスとノイマン444Aの比較。

自分のシステムではある程度つかめてはいるが、それを公の場で確認したかった。

クワド等と聞き比べることで、いっそうその性格をつかめるんじゃないかと・・・・




したがって、自分としては、早く比較試聴したいわけだが、尾張のお二人は我々が来るということで、かなり準備していただいた。
本当にありがたい。  m(__)m



ごさ丸システムを素の状態で聞いてみる。

これははっきり熟成期に入った音と感じる。
ODさんのHPでも上手く表現されているが、もはや音が如何こういう段階は越えているようにさえ感じた。

ごさ丸システムは、当然私のモノではないためごさ丸氏自身が調整されている。
「音は人なり」ではないが、音の好みは当然ごさ丸氏自身のもので、私のものとは違う。
しかし、その音を越えたところで私にも強く強く響いてくる。


最近も、ことがあるごとに聴くのがだーださんに教えてもらったビル=エバンス。
有名なCDらしいけど、音はメチャメチャ。おそらく意図的メチャメチャ。
でも、これを聴くとシステムの能力が良く解る。
もともと変な(実はすごい)音なので、音自体は良く解らない。
しかし、ものすごく訴える力のある音楽。
いいシステムだとその訴えが響いてくる。

ごさ丸システムの場合、頭で考えるとにつかわないと思われるかもしれない。
しかし、これを聴いて愕然とした。
実に響いてくる。

ああ、これなんだと一人納得する。

このCD、小奇麗に鳴らすのは意外と簡単かもしれないが、なかなかこう訴えてきてくれない。
それが生き生きと聴けて、私は嬉しくなった。

ごさ丸氏ご自身がそんなことを意識しているのかどうかわからないが、確かに強く強く感じる。

これが聴けるのなら、変な話だが、もう音はどうでもいい。




ごさ丸システムの本質はここにあると思えてならない。

ご本人からは、ついぞそういう言葉は聞けないのだが、私にはそう思えてならない。

「音」云々など最初から飛び越えた時点から、いきなり音楽に迫っている。
その心をつかもうとしている。
その姿勢は正直で素直だよ。体裁など構っちゃいない。
年下の私が言うのも失礼だが、その心は見ていて切なくなるほど真っ直ぐで真剣だ。





最初、アンペックスがうまく接続できず、やきもきしたが、それでもナントカ解決し、いざアンペックスvsクワドエイト

一言で言えば、クワドエイトに比べ、アンペックスは細身。
これには驚いた。
あのアンペックスが細身に感じる。

確かにありささんのブログでアンペックスが細いと言う報告は聞いていた。

しかしねぇ~、自分としてはにわかには信じられなかったもんな~。


でも、確かにクワドと比較するとアンペックスは細い。

ではアンペックスが細くて嫌なのかというと、私の場合はアンペックスが好ましい。
自分で興味深かったのは、長い間アンペックスを聞いて来たせいか、クワドエイトが少々癖っぽく感じたこと。
やはり、その力の乗りは圧倒的で、しかもこれ見よがしな音色の変化は感じない。その力の乗り方がいかにもクワドエイトだなぁと思わせる。

私にとってはこう感じたことが重要なんだ。
あの圧倒的だと思っていたクワドエイトが、アンペックスを聞いた直後に聞くとその性格がわかった。
これは何を意味するのか、、。
アンペックスがクワドエイトの前でも善戦しているということだ。

よかったぁ~

しかし、厳然とした差はある。
アンペックスはうるさい。
ノイズレベルが高い。
比べれば、クワドエイトはさすがプロ機と言わせるだけのS/N比を持っている。
後日、ありささんが、技術者であるのだから、このノイズを取ろうと思えば取れたはず。この音を優先したためにどうしてもノイズが残ったんだろうね、、と、慰めてくれた。


しかし、実は当日のごさ丸邸において、本当の驚きは別にあった。

SG520



JBL SG520をはじめて知ったのは文章の中。
おそらく瀬川冬樹氏の文章だったと思うが、その表現に強烈な憧れを抱いた。

JBLがたった一度きり作ったプリアンプ
(正確にはSG620もあるのだが・・・・)

だが、
その写真を始めて見た時、意外と何の感想も抱かなかった。
それどころか、少々の失望さえ感じたのをここに告白する。

それ以来、あの文章に惹かれはするものの、製品に対しての憧れは、あまり感じていなかった。
オーディオをやりだしても、自分とは縁の無いものと、興味すら失っていた。

ごさ丸氏と知り合って、初めて実物を見せてもらった時も、実は自分でも驚くほど冷静だった。



SG520は、もちろんごさ丸氏の愛機であり、このアンプ無しでは氏の場合オーディオが成り立たない。
実は、その愛機をわざわざ拙宅にも持ち込んでくれたこともあった。
噂に聴く恐ろしいまでの低域の伸びは垣間見られたものの、正直に言えば私の印象は薄かった。
あえて言えば、ごさ丸氏が純粋に音としてこのSG520を選んでいる理由も良く解らなかった。



さらに、私はごさ丸氏が手に入れたクワドエイトの洗礼を受けた。
私にしてみれば、もはやSG520を使い続ける意味が理解できなかった。
クワドがあれば、他はいらないじゃん、、、、、ってね  (^_-)




だから今回も、アンペックスとクワドエイトの対決には興味があったものの、SG520はまったく視野に入っていなかった。


アンペックスとクワドエイトを暫く聞き比べた後、何の気もなくSG520を聞かせてもらった。


驚いた。



何たる瑞々しさ!


普通、アンペックスやクワドエイトなんかのマジなプロ機の中に民生機が混じると、その音が、体裁ばかり気にして上っ面のみ聞き易く、こちらに媚びているようにさえ感じるものだが、こいつにはまったくそれが無い。

低域の伸びはもはやため息をつくしかない。


ごさ丸邸でアンペックスを鳴らした時、これはSG520系の音だねと、ありささんが言ったのを思い出した。

クワドエイトなどと比較すれば、確かに細身なのだろう。
我が家で聞いた時も、私もそう思った。

しかし、此処で聞くSG520は、もはやその細身だということを、とうとうマイナスと捉えることは出来なかった。

素晴らしかった。



ごさ丸氏が、クワドエイトを手にした今であっても、SG520が手放せない理由がよくよく解った。




でも、かいちょ、、

SG520があったらクワドエイトいらないんじゃない?

いらなかったら言ってね、すぐに引き取りに行くから   (^^)/






魅力的なSG520。

もう一度聞きたいな。









この後4人は食事に行き、うろうろし、

真夜中頃、私はありさ邸に向かった。
ありさ邸で、聞き始め、喋り始め、気がつけば4時半を回り、あたりが明るくなった頃、眠りについた。


ごさ丸邸に残ったODさんとかいちょは、、
あくる日に聞けば、

このお二人とも眠ったのは3時を回った頃だったらしい。



あ~、オーディオって身体に悪い。



でも、オーディオ修学旅行、楽しいね   (^^♪






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また買っちゃった。
上のは比較用 (^_^)v

by johannes30w | 2007-05-26 20:45 | オーディオと音楽
2007年 05月 24日

尾張 春の陣 前夜  (文字ばっかりだよ)

尾張での決戦は終結した。

今回も、数多くの機器を聞いた。いったいいくつの機器を聞いたのか。

数えてみるのも酔狂だが、ケーブル類、電源関係のブツを除いたとして(って、ここらがおいしかったりするのだが・・)、

ごさ丸氏の場合、
プリ+ラインアンプ+チャンデバ2台(モノラル使用?)+パワーアンプ3台
これで、、、、7台?

単純に鳴るだけで7台。

あ、レコードプレーヤーとCDPを忘れていた  (>_<)


これのCDPを含め、プリ、ラインアンプ部をとっかえひっかえ試してみた。


チャンデバ以降はシステムの言わば聖域であって、ごさ丸氏のそのシステムにかける想いを考えると、
あだやおろそかには弄れない。

と、言い訳して(?)ごさ丸システムの入力系を攻めるわけだ。



よせばいいのに自分のA730まで持ち込んだ。

その印象はともかく、今回最も興味深かったのは、アンペックスA-10とクワドエイト6200との対決。


この二つ、同じようなポータブルミキサーとして設計されている。
私の場合、過去にオーディオ評論家の岩崎千秋氏がクワドエイトを紹介されていた記事を覚えており、
その記事のみで知っていた。もちろん聞いたことはおろか、見たことさえ無かった。

昨年来、仲間内でプリ部が問題になっており、うちに集まった際のプリ部総合対決の印象を元に、
各人思い思いのプリ部を構築していった。

その中で、ごさ丸氏はこのクワドエイト6200を入手し、ありさ邸にて、その威力をもって我々を完膚なきまでに叩きのめした。
当時私はノイマン444Aを擁し、この時も意気揚揚ありさ邸に持ち込み、横綱相撲でもするつもりだっただけに、
そのショックは大きかった。


圧倒的な空気感、同時に実在感、

ごたごたと、細かいことなどすでに関係ない次元に、まさに逝ってしまっていた。

音が出た瞬間、私もありささんも声を失っていた。


何とかしなければとの思いと、ノイマン以上のものが考えられない状態で、それでもあきらめられず、、、、。

クワドエイトを探せばいいようなものだが、そんな機械がそうそう簡単に見つかるわけもなく、
また私の場合、根っからのひねくれモノで、ごさ丸氏と同じモノでは嫌だとの思いも強かった。

そんな中でアンペックスと出会うわけだ。


アンペックスもクワドエイトもポータブルミキサーで、これらのミキサーは、録音現場が多チャンネルのマルチ録音が主流になった時代に姿を消していった。
しかし、現実は未だに使われている。
ボーカル用ミキサーとか、ある楽器に特化した使い方で、つまりミキサーを多段に重ねての使用が行われているようだ。

生々しいボーカル録音も、こういう機械を通し、ミキサーを重ねて録音されているのかもしれない。

アンペックスは、クワドエイトより若干時代が古いようだ。
もちろん同時期に売られていたこともあるのだが、その売価を知った時は愕然とした。

クワドエイトのほうが、圧倒的に高い!  (>_<)


ま、実際の現物を見てもそのとおりで、クワドエイトは緻密な作りであるのに対し、アンペックスはいかにも古臭い。


アンペックスが我が家に来て、本気で使ってみようと決心し、メンテナンスに出した。




その時、尾張軍がやってきた。

当然ごさ丸氏はクワドエイトを持ち込んできた。
こちらの息の根を止めるつもりなのは明らか。


が、

不思議なことが起こる。
あのクワドが冴えない。

かわりに落ち込んでゆくごさ丸氏。



さらに当日は、ごんたどんがUreiのスタジオコンソールなる怪物が持ち込まれていた。
誰もどんなものか良く解らんだろうが、かく言う私だってさっぱりわからん。

ただ、そのUreiが抜群だった。
まさに抜群!

さらに落ち込むごさ丸氏・・・・・。




こういうことは、えてしてよくある。

尾張藩では私もはっきり認めざるを得ない抜群の能力を持つ機器が、
我が家に来ると精彩を欠く。

私のシステムの妙な癖かもしれない。




そうこうしているうちに、わがアンペックスはメンテから帰ってきた。

私はノイマン444Aを先遣隊として尾張へ送り込んだ。




満は持した    (変な日本語)

尾張へ向かう

by johannes30w | 2007-05-24 23:47 | オーディオと音楽
2007年 05月 22日

5.19

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天王山を抜け

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関ヶ原を越えると

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雲行きさえ怪しい。





春日井インターを降り、暫く走ると高蔵寺







鬼が住む




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エンクロージャーの鬼

2220の会会長、通称「かいちょ」





我らがごさ丸氏である。




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ほとんど強引に積み上げる。


聞く




美味なるひつまぶしを戴き、

私は夜半、次なる目的地に向かった。


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JBLだ!

by johannes30w | 2007-05-22 00:42 | オーディオと音楽
2007年 05月 19日

進軍

 尾張の地において陣を張る

本日、夕刻から決戦

 尾張軍の本隊は、未だ準備が整っていないという報告も入っている。

今をおいて決戦の好機は無い   (?)

 こちらの準備は万全を期し・・・・


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準備だけで疲れた。

 これを積み込むのか?   (*_*;



決戦の時刻にいきなり遅刻だぁ~

by johannes30w | 2007-05-19 11:28 | オーディオと音楽
2007年 05月 15日

兵器

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これを見て、何か解る人は、、、



別に説明しなくても良いんだろうけど、、



私のシステムには、プリとチャンデバの間にディストリビューター(ラインアンプ)が入っている。
なんでそんなものが必要か、面倒だから説明しない。このブログか、以前のヤフーのブログの何処かに書いてある。

このノイマン475-Bを使ったディストリビューターには電源が必要。

以前、hide。さんが電源を作ってくれた。 ありがとうございました m(__)m


その後、うちに名古屋軍が攻め込み、2つの電源を投下していった。

一つはスチューダーの恐らくでかいミキサー用と思える電源。(上)
もう一つは1950年代(?)のものと思われるアメリカ軍の軍用電源。(下)

(もちろんどちらも現在の使用に問題ないよう、A氏の手によって綿密に、丁重に、リファインされている)


当日、この2つをパッと聞き比べた時、明らかにスチューダー電源が好ましかった。
(プリプリ効果である)生々しさの向上はもちろん、独特の音場感、弦の艶、トランペットの叫び、いずれも素晴らしいと感じた。事前評価がいまいち芳しくなかっただけに、かなり驚いた。
軍用電源(軍用君)は、、、、
この日、ノイズが乗っていた。ありゃ?悲しいな、、、と、この時点で私の耳は悲しいかな拒否反応を示していたのかもしれない。
ノイズと共に聞いた軍用君の音は、まず地味。ついで力感。

しかし、スチューダー電源に驚いてしまった耳には正直に言ってピンとこなかった。






持ち前のものぐさで、そのまま(スチューダー電源のまま)数ヶ月が過ぎていった。
他の部分のシステムも落ち着いてきて、さあ、最終(?)組み上げをやる時期が来た。


最終的には手元にCDP、レコードプレーヤー、プリ(部)
スピーカーシステムの間に立ってるアンプラックの中に、ディストリビューター(ラインアンプ)、チャンデバ、パワーアンプをセッティングする予定。

手元に置いている間はいいが、アンプタワーに組み込んでしまえば、うちの場合弄っていくことは非常に困難になる。したがって、アンプタワーに組み込む前に細かい(?)仕様は決定しなければいけない。

ということで、先日からディストリビューター(ラインアンプ)の詳細決定を図っていたわけだ。



オペアンプを決定し、いよいよ電源を決定しようと比較試聴を改めて始めた。




聞きなれたスチューダー電源だったが、これを再び軍用君に変更してみる。
ちゃんと24Vが安定確保できていることを確認し、繋ぎ換えてみる。

以前、ノイズが出た軍用君であったので、つなぎかえる前にA氏に連絡してみた。
すると、ノイズ対策はすでに確立されている由(すごいな)。ノイズが出るようだったら改良できる。この言葉に後押しされ、躊躇無く繋ぎ変えることができた。

が、

今回はノイズが出ない。

??

どうなってるんだ?


まあ、出ないことはありがたいわけで、、、
でも、以前との変更点と言えばオペアンプだけであるから、オペアンプの種類によってノイズに強い弱いがあるとしか思えない。
真偽のほどはともかく、私なんざぁノイズがなければそれでOKなわけで、勇んで聞いてみる。


繋いで聞いて驚いた。その低域での力に。特に30w領域の圧倒的なパワー。いや、力だけではない。はっきりとレンジが伸びた印象。やはり、特に最低域に向けて。原理的にそんなことはあるはずもないのだが、いや、エネルギー分布の変化のせいか聴感上たしかにそう感じる。

最低域から中低音に至る圧倒的パワー。しかもそれがダブつかない。確実なエネルギーを持って私を圧倒する。

息苦しくなるほどのエネルギー。いきなり深海に放り込まれたように、低音のエネルギーが全身を圧迫する。30w領域を出しすぎると三半規管を直接ゆすぶられるような感覚に陥るのだが、今回のはそれに全身への圧力が加わっている。

ごんたどんじゃないが、その圧力で食べたものが口から飛び出しそうだ。


暫くその状態で聞いていた。

しかし、こいつは身体に悪い。いくら爆音に慣れている私でも堪えてきた、、、。


中高音は相変わらず地味だ。キャンキャン叫ばない。
弦など、なんともしっとりといい感じ。
しかし、艶が無いなぁ~。

と、

ここまで聞いて思い出した。
この高域での感覚は、6260に似ている!!

亡霊のように現れる6260のイメージ・・・・・。



一息つきたくなって、スチューダー電源に戻してみる。

ああっ、、、、と思った。



スチューダーの音がする。
当たり前だが・・・・。今までは意識していなかった。

私はスチューダーの製品では共通の音を感じている。
不思議なことにCDPのA730だけはスチューダーの音はあまり感じていないのだが・・・・
(あれはフィリップスの音なのか?)

パワーアンプのA68も、ありささんのスチューダーミキサーも共通の音。
全体にかっちりしていて高域に華がある。悪く言えば、高域がメタリック。この高域をうまく使えば実に艶っぽい魅惑的な音となる。

このスチューダー電源もまったく共通の音がした。
びっくりした。電源でも共通の音がするのか?(良く考えればあたりまえだね)
やっぱり電源っていうのは、その機器の性格の主幹をなすものなんだね。


しかし、   だ。

スチューダーの音がすると感じてしまったということは、これは色を感じてしまったということ。
色づけが無いことがいいことだとは思わないし、どのみちどんなものを使ったところで色づけからは逃れられないものなんだけど、明らかに、この「色づけ」という点においても軍用君の方が好ましく感じてしまった。



  -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

あー、、、、、終わらなくなってきたな~
   読みづらいことこの上ないブログだねぇ~


  -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「音色」という点で、スチューダーが落ちたのは意外だった。上述のとおり、どんな機器でも固有の音色を持っており、自分の好みに近い方を、もしくは自分の考えに寄り添うものの方を「色づけ」が少ないと感じるものだ。周りからはとてもそうは見えないだろうが、私のシステム構成だって、私にとって「色づけ」の減る方向へ進んできた。しかし、もっと言えば、もはや「色づけ」などどうでもよく、逆に色が付いても別に関係なく、自分にとって自然に感じる方向へ走ってきた。




ふと気が付けば、自分のシステムにはレコードプレーヤーを除いて民生機と言えるものが無くなっている。一般にプロ機などと呼ばれているものばかりだ。この状態は、プロ機が優れていると考えたからそうなったのではない。一つ一つ選んでいったら勝手にそうなった。

私は「色づけ」の無い音を望んでいるのではない。そんなものは幻想で、機器を使う限り「色づけ」は出る。
もっと言えば、CDやレコードに入っているものを足したり引いたりせずありのままに再生したいなんていうことも考えていない。もしそんなことが可能であったとしても、CDやレコードに入っているものは、すでに弄繰り回され、製作者の意図がたっぷりたっぷり入っているもの。スタジオで弄繰り回すためにモニターしているわけではない我々が、ありのままの再生を目指して何になるのか。
 私が望むのは、自分の部屋で音楽を聴いて、その音楽に浸れること。
比較試聴をやっている時はともかく、普段はけっして「ああ、このアンプは綺麗な音だ」とか、「このケーブルは色っぽい」なんて感想が、頭に浮かんで欲しくない。

「このヴァイオリニストは何て美しい響きを奏でるんだろう」・・・と感じたい。






となればだ。




何かを意識させる機器は使いたくない。
それが「美音」であっても、その美音がその機器を意識させるものであるなら使いたくない。
変な音であっても、何も意識させないほうがありがたい。
私だって名機と言われる機器を使った経験もある。ほれぼれするような美音を聞かせてくれた機器もあった。が、捨ててしまった。引き取りに来てくれた次の所有者に、なぜこれを売ってしまうのか尋ねられ、「美しい音がするから」と答えたら、何を考えているのかさっぱり解らんと呆れられた。
そりゃまぁそうだわな、、。




    -。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-




そんな観点も含めて機種を決めていくと、私の場合はほとんどプロ機を選ぶこととなった。
最新ハイエンド機に比べて安いのもありがたいしね  (^_-)



あえて言えば、そんなスチューダーであったわけなのだが、そのスチューダーの電源が、軍用電源の前では姑息に音作りをしているように聞こえる。
かなりショッキング。

確かに軍用電源、まさかオーディオに使われるなどと考えて作られているわけじゃないだろう。
しかしその構成部品はヴィンテージウエスタンと同じもしくは同等品が使われている。
私はヴィンテージウエスタンなど聞いたことも無く、そのすばらしさもその神話も知らないが、確かに凄いんだなと思わせるふしがこの軍用電源からも聞かれる。

それは、圧倒的なクオリティーの高さ。

スチューダー電源と比べても、その質の高さは圧倒的で、相手にならない。
そりゃまぁそうだわな。こいつは軍用。コストなんぞほとんど度外視した状態で作られている。
私が最も驚いたのはこの点で、これを感じてしまえば音色がどうのこうの言うことさえバカバカしくなってくる。

「素」の音を目標としたプロ機より遥かに「素」である軍用機、、、ということか。





しかしねぇ~。

この「素」かげんはもちっと何とかならないもんかねぇ。
いくら私だって、もう少しは愛想も欲しくなったりする。

無いものねだりなんだけどねぇ~




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軍用電源の圧倒的な低域の力はすばらしい。
力があるのだが滲まない。ぼやつかない。

私の聴く音楽などは、まずは低域のボリュームが必要で、これが無いと何もかもが始まらない。
というバランスにしているわけだが、そのまんまJAZZなど聞くと、だーださんが言うように鬱陶しくてしかたないということも出てくる。全てがうまく鳴ることはどこかであきらめているわけだが、それでも自分なりの回答を模索している。
 この軍用電源を使うことで、低域に圧倒的な充実感が得られるようになった。
充実感が得られたことで、絶対的なボリュームを絞ることが可能になる。
バランスの取り直し。低域のボリュームを絞る方向で、、、

うまく行きそうで、思わずお気に入りの2枚を聴いた。

トーキングヘッヅとクリムゾン

これ、好きなんだよなぁ~。

2枚を取り持つのはエイドリアン=ブリュー

久々のロック爆音。



気分を良くしてベートーベン

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これも以前にも書いたけど、大のお気に入り。
演奏もいいけど、録音も好きだな。

よくコンサートに行っている人は、なるほどなるほどと思うこと請け合いだね。


ロックバランス(自分にとっての話だけど)のままヴァイオリンソナタが聴ける。


すばらしい。




さらに気を良くしてボーカル・・・・



だめだ、、、上ずってる


低域のボリューム若干修正



あ~~~~、おぼれる  (*。*)



難しい・・・・・・・・・



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by johannes30w | 2007-05-15 00:19 | オーディオと音楽
2007年 05月 11日

最小のシステム

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このセットでとりあえずは聴けるわけだ。

何かあれば、CDPだけ抱えて逃げれば音楽は聴ける。
(何から逃げるのかは、、、知らん)



ヘッドフォンは久しぶりに聞いてみた。

これは古いパイオニアのヘッドフォン。 モニターナントカとか言ったかな?



ヘッドフォンは昔から苦手だな。


理由は大きく2つ。

一つは、、、
 ヘッドフォンをかけると周りの音が聞こえない。
すると、私の場合、周りが妙に気になってくる。後ろに誰か立ってるんじゃないかなんて、恐がりの子供みたいな心境になってしまう。確かに子供の頃(いまでもそうか?)、私は恐がりだった。恐がりのくせに、「世界の怪奇全集」なんて本を買ってきては読んでた。今日、久しぶりにヘッドフォンしてみたけれど、やっぱり周りが気になって、落ち着かない。周りの音が聞こえていればいいのかというとそうでもなく、たとえばオープンエアもしくはセミオープンエアタイプのヘッドフォンにすると、今度は余計に周りの音が気になってくる。困ったもんだ。

もう一つは、、、
 ヘッドフォンはあまりに不確定要素が大きい。
ヘッドフォンは頭からかぶる(インナー型もあるが)。そのかぶり方、もしくは装着の仕方で音の聞こえ方があまりに変わってしまう。手で押さえた音、外れそうにかぶった音、押さえ方でも変わってきてしまう。スピーカーから聞こえる音はそんな変化の仕方はしない(当たり前だが・・・)。一定の音で聞いていこうとすると、延々と手でヘッドフォンを押さえて聞くことになる。これじゃあヘッドフォンの意味が無いじゃないかといつも思う。インナータイプだって似たり寄ったり。



とはいうものの、やっぱり興味はあって、先日もオーディオショップに行けば、いろんなヘッドフォンの聴き比べをやった。やっぱりAKGかな~、、いや、KOSSもなかなかだな~。ゼンハイザーってドイツだっけ? などと面白がってた。



結局、私にはヘッドフォンは辛い。
でも、何か欲しい気はするな。



最小のシステムを考える時、やっぱりスピーカーを使いたい。
じゃ、何にするんだろう・・・


と考えて、真っ先に出てくるのがパラゴン。
最小のシステムと言いながら、何故パラゴンなんだ?と言われるかもしれないが、いやいや、壁にへばりつけて、パラゴンの直前に座り込めば、たたみ一畳くらいのスペースで聞ける。
CDPは今のA730を使ってバリアブルの出力を使えばあとはパワーアンプだけ。6260か?

パラゴンにへばりついて聴く。

なかなかいいんじゃない?


あるいはボザークか?

by johannes30w | 2007-05-11 01:45 | オーディオと音楽
2007年 05月 10日

何故?

何故、音楽を聴く?

何故、音楽を聴きたい?



ごんたどんの答えは明快だ

 「癒し」




でも、癒されない音楽だって聴くよ?

それも「癒し」のうち?



彼と話していると、今でも高校生気分で、ついつい反論しちゃうけど、いつもそう言ってもらってホッとしてる。



「癒し」って何だ?



癒しでない音楽も、音楽である限り終りがあるわけで、終わったときに癒しを感じるのか?

癒しではない音楽さえ聴くことを「癒し」と表現するならば、
「癒し」の目的は感情を揺さぶることか?


脳がそれを要求するのか?





なんで音楽聴くのかなぁ~







本当に必要なものか?

「音楽の無い人生は・・・・」なんて言ったりするけど・・・・。





人間以外は音楽なんて聴かない。



昔、人間の人間である意味は、、、なんて何日も考え込んだ若い日があった。
結論的に言えば、そんなものあるわけは無い。

全て他の動物と同じとしか言いようが無い。

某所で、人間は線虫の成れの果てという話があった。

考えてみれば、まったくもってそのとおりでそれ以上のものではない。

巨大な線虫が効率よく生きていくうえで、手足や脳を獲得していった。



線虫であるならば、その目的は、自己の維持と種の保存にある。
それが目的の手足あるいは脳。


しかしその脳が、主体たる線虫と関係ない部分で刺激たる音楽を要求している?



なんだか厄介だな。




主体たる線虫の付随器官として脳が位置づけられるのであれば、極端に言えば、適当に脳が喜ぶような刺激を与えておればいいわけで、そう極論づけてみれば、「人生は大いなる暇つぶし」という某尊師の言葉も飲み込みやすくなる。



ただ、脳が求めるその刺激も、場合によってはその主体を脅かす存在になったりもする。

絶望的音楽を聴いて、食事ものどを通らなくなることだってある。
脳への刺激である趣味たるオーディオに打ち込むあまり、主体たる線虫に障害を与える、つまり早死にする場合だってあるだろう。

あ、これはバカな脳しか持てなかった線虫の悲劇か?

失恋で身体が弱り死に至ってしまう源氏物語の時代からそうか、、。
いや、失恋は種の保存に反するので、そんな個体が生きながらえるのはよろしくないという判断?




ここら辺が、付随器官である脳が主体性を持てる唯一つの事例?
つまり、自己への障害をもたらすことのみでしか、脳は主体たる線虫に反逆できない?



自己を抹殺することでしか主体に反逆できない脳であるならば、脳が主体に上位に立てるのが「死」ということになる。

つまり、どう死ぬか。

つまり、どう生きるか。



この二つは同意語であって、それが納得できれば現在の我々でも赤穂浪士が理解できる。



どう生きるかを選択することが、脳が(人が)持てる独自性?




しかし、これも、、

付随器官である脳が種の保存を目的として、あらかじめプログラミングされていることと考えれば、



ふりだしに戻る。



あ~


なんか聴いてこよ~っと、、

by johannes30w | 2007-05-10 02:49 | オーディオと音楽
2007年 05月 06日

さらに


ブラームスの二重協奏曲(ダブルコンチェルト・ヴァイオリンとチェロのための協奏曲)は、「和解の作品」などと呼ばれている。これはクララ・シューマンが言った言葉らしい。

当時ブラームスは、ある事件がきっかけで、友人で名ヴァイオリニストであったヨアヒムと仲たがいをしていた。ブラームスは友情を取り戻したく、この作品のヴァイオリンパートなどに対してヨアヒムのアドバイスを受けた。アドバイスややり取りを繰り返すうちに、友情が蘇った。
その一部始終を見ていたクララが上述の言葉を発したわけだ。

だが、われわれがこの作品を聴く時、この素敵な挿話はむしろ邪魔だろう。


ブラームスは若い頃クララに恋をした。
すでに大先輩であるシューマンの妻であったクララに恋をした。
もちろんかなわぬ恋なのはわかっていた。



結局、ブラームスは生涯独身をとおすことになった。

クララは夫であるシューマンが死んだ後も、未亡人として生涯を送った。


純愛物語とかで、一昔前の少女漫画なんかの題材になってもおかしくない。



もちろん、ブラームスもクララも現実の人間だったわけで、そんなに簡単に人や物事を決め付けることなどできない。ブラームスなど、友人たちと女郎屋に繰り出して大騒ぎするのが好きだったという。


細かい人間模様は、現実を知らない限り、いや、知っていても、その当人にしか理解はできない。

しかし、ブラームスが生涯独身をとおして「しまった」(?)ことは、頭に入れておくべきなんだろう。








 当然のごとく若くしてその才能を認められたブラームスだったが、今では新古典派などと分類されているブラームスも、特にその初期の作品では、その精神において、はっきりロマン派と言える。いや、この人ほどロマン派を体現する精神を持った人はいないんじゃないか。
ピアノ協奏曲第1番、あるいは弦楽六重奏曲など、その若い新鮮な情熱は、我々の心に直に触れ、どきどきさせる。
 後年、その形式へのあくなきこだわりと美学から、他に類を見ない構成美を獲得するわけだが、一般にはそのことばかりが取りざたされている。よって「新古典派」なる言葉が出来上がってしまうわけだが、いや、それを獲得した壮年期においてもその心のロマンチシズムは少しも変わらない。ロマン派よりロマンチシズムに溢れた心を持っている。

 クララを想い、生涯独身を貫ける人だよ。










 そんなブラームスが、晩年、気力と体力の限界を感じる。
もはや自分には交響曲を書く力が残っていないことを悟る。
残酷な話だ。



あの4番の次の交響曲。自身でもどんなにストレスを感じたことだろう。
4番の次は5番。マーラーじゃないが、ベートーベンの5番が重くのしかかっていたに違いない。



第五交響曲を書けないと悟ったブラームスが取り組んだのが、このヴァイオリンとチェロのための協奏曲。
神格化された交響曲からある意味開放されたブラームスの精神は自然で伸びやかだ。
自身の精神世界の自由な発露としての作品がここにある。


計らずしてブラームスの最後の管弦楽作品となった。



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この後、ブラームスは、ピアノ曲など鮮烈な印象を与える小品を残すのみとなる。




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危ないブツではない

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危ないか?

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対決

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これはどうする?

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by johannes30w | 2007-05-06 21:51 | オーディオと音楽
2007年 05月 04日

ロストロポービッチ

 まだ小さかった頃、レコードもそんなに買えず、エアチェックというような行為も知らず、それでもいろいろ聴きたかった私のコレクションは、TVのN響の放送を兄に借りたラジカセでイヤホンジャックから録音することだった。この方法は父親に教えてもらったように覚えている。

 たまに気に入った曲に出会うとそのカセットテープは宝物となり、毎日毎日聴いた。
そのうちの一つにブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲(ダブルコンチェルト)があった。演奏家などまったく知らなかったし、興味も無かった。ブラームスの曲を気に入った初めてのことだったかもしれない。

ある日、親戚(と言っても、かなり年上だが)がやってきた。その人も少しはこういう曲を聴くようだったので、自分が録ったテープを聴かせた。その人は、それについては何も言わず、今度来るときにはこの曲のレコードを持ってきてあげようと言って帰っていった。

その親戚は忘れずにレコードを持ってきてくれた。
そのレコードが、このオイストラフ・ロストロポービッチ・セルのダブルコンチェルトのレコードだった。聴かせてくれた。なんだか違う曲みたいに聴こえた。何故だか解らなかったが、持って来てくれたレコードのほうが、ものすごく良く聴こえた。

子供心に悔しくて、何度も何度も自分のテープを聴きなおした。でも、どうしても、あのレコードの方が良いように思えた。やっぱり悔しかったが、そのうちあのレコードがどうしても欲しくなっていた。しかし、あの時見たあのレコードは、ジャケットもすでに古ぼけていて、もはやとても現行品として売っているとは思えなかった。

一人でレコード屋に行くような年でもなかったが、それでも親と何処かへ出かけた時は、レコード屋を見つけてはあのレコードを探した。

諦めかけた時、とうとう見つけた。なんとあの古ぼけたジャケットのまま売っていた。
興奮し、親にも、この曲のこと、この演奏のこと、このレコードがいかに貴重であるか(と、私には思えてならなかった)、いろいろ説明までしてなんとか買ってもらった。

嬉しかったなぁ~

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オイストラフも、ロストロポービッチも、セルも、クリーグランドも、初めてこのレコードで知った。


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世の中には悪女などと呼ばれる人がいる。ショパンにおけるジョルジュ=サンドなど、、
悪妻と呼ばれる人たちもいる。モーツァルトにおけるコンスタンツェやマーラーにおけるアルマ。
プロポーズしたらその当の相手の姉と結婚するはめになってしまったハイドン、、。

本当に悪女、悪妻なんだろうか。

それらの作曲家達が、それぞれの素晴らしい作品を残しているという事実がある。
いかにモーツァルトやショパンが早く死んでしまったにしても、その見事な作品が厳然として存在する。そんな作品を残すことが出来たこれらの作曲家がどうして不幸だと言えるだろうか。

悪女、悪妻が存在したことで、それらの作品が創られたと穿った見方さえしたくなる。
後の時代の我々はそんな悪女、悪妻に感謝さえしたくなるではないか。

いや、これはあまりに極端なのかもしれないな。



仮に、悪女、悪妻によって、それらの作曲家が不幸だったと仮定しよう。
その不幸の中から、あの曲たちが生まれてきている。
芸術は不幸の中から生まれるのか?

いや、こういう考えも偏りすぎなんだろう。



最近、気になる演奏家がいる。
ポリーニ

すでにその名声は確立されている。
大演奏家だ。

しかし、最近の演奏を聴くと、何故だか物足りない。
若い時のあの尖った演奏が、最近はどうしても聴けない。
確かに円熟味が出てきて、どこから聴いても文句など言えるはずは無い。
それでもどこかで物足りなさを感じてしまう。
ああ、ポリーニは幸せな人生を歩んでいるんだと思ってしまう。
ポリーニの不幸を願っているわけでは当然ない。
でも、音楽を創る芸術家として、、

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ショスタコービッチは、自分の交響曲を墓標だと言った。
やはりどうしてもそう聴こえる。
よくソビエトがあのような交響曲を発表することを許したもんだと、そう思う。
あの重さは耐えがたいまでに感じられる。

ショスタコービッチは不幸だったのか?
少なくとも、体制によって自分の気持ちを複雑に折り曲げられている。
そんな状況で、でも、あのような作品群が残されている。

芸術は、芸術家の幸不幸、抑圧もしくは自由とは関係なく生まれてくるのか?


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 ロストロポービッチのチェロは好きだ。私は世代的にも、カザルスを好きだと言えるほど聴いていない(カザルスの指揮したものには好きなものが多いが・・)。

しかし、その好きな演奏を思い出してみると、何故だかソビエト時代のものが多い。
これはどういうことなんだろう。

ロストロポービッチはあの有名な小説家の件も含めて、ソビエト時代には大変な苦労をした。
後に西側へ亡命し、カザルスと同様指揮までするようになった。
しかし、その西側での演奏云々はともかく、ロストロポービッチの好きな演奏を思い出すと、ソビエト時代のものがほとんど。





こういうレコードはなかなか無い。
オイストラフをはじめ、ロストロポービッチ、セル、まさに理想。
曲に対して完全な演奏などありえないのだが、このレコードは、そのレコードの存在として芸術作品として成り立っている。ここまでのものは、古今東西、私は他には思いつかない。


録音は、以前にも書いたかもしれないが、古ぼけている。
いや、古ぼけたように聞こえがちだ。
オーケストラの響きなど、モゴモゴ言っているように聞こえやすい。
しかし、装置がきちんと出来上がってくると、この録音の美しさが理解できてくる。
モゴモゴなど言っていない。節度を持って、美しく空間に表現される。
ソロヴァイオリンもチェロも、実は恐ろしくデリケートに、しかも美しく録音されている。
装置がいいレベルに来ているならば、その美しさに陶然とするはずだ。
なんとも幸せな時間が訪れるに違いない。


こういう古い録音は恐ろしい。

装置によってあまりにも表情を変えてしまう。

このCDのリマスター盤はいい出来だ。
こちらの方が、再生は楽だろうな。





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本日(5/6)、比較用OPアンプがやっと揃った。
GWも終わろうとしているのになんというグッドタイミング!

しかし、今になってひとつのchからノイズが出ている。
周りの電源環境でがらがら変わるから、アースラインでも外れたのかもしれない。

なかなか前に進めん  (>_<)

by johannes30w | 2007-05-04 12:27 | オーディオと音楽