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2010年 10月 31日

四番

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これは、銅板と真鍮板、それに紫檀の板

アームの高さ調整をこれらを使ってやる。

組み合わせで音も変わっちゃうだろうから、それは試行錯誤しなくちゃね。




だーだちんに聴いてもらおうと思ってつけたままだったオルトフォンのRF297アームを外した。

そろそろグレイアームに集中するつもりだ。



高さ調整プレートを挿むと

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こんな感じ。




これでレコードを聴くんだ。




四番は、クレンペラーで聴こう






と思ったのだが、



何故だか見つからない。

勘違いかなと思ってCD棚を探したが、やっぱり見つからない。



考え込んじゃったが、

仕方ないので、

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セル・クリーグランドの演奏





でも、

やっぱりしっくり来なくて止めちゃった。




プレーヤーは、自分の考える形へ近づいてきた。

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アームの微調整もやっていかなくちゃ

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by johannes30w | 2010-10-31 00:44 | オーディオと音楽
2010年 10月 29日

仕切りなおし

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カメラも元のに戻した

やっぱりこっちが好きだな

by johannes30w | 2010-10-29 16:58 | オーディオと音楽
2010年 10月 27日

二番

二番はハルさんとの会話の中で出てきて思い出したしノーポリを聴こう



持ってることさえ忘れていたが、だんだん思い出してきた。

アバドの二番と同じで、

メチャメチャ期待して買ったのを覚えてる。

当時すでにCDもあったはずだが、レコードで買ってる。





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レコードがだんだんCDに代わっていった時代。

私も大きな期待を持っていた。



音がどうこうという期待もあったが、

なによりあのアナログ調整の大苦労から開放されるとの喜びが大きかったな。

少々音が悪かったとしても、諦めがついていいかも、なんて思ってた。

でも、

そんなことより違う期待もあったんだ。



マーラーの交響曲は、どれも長大。

レコード一枚に収まらないのは良いとしても、

長い楽章になると、レコードの片面に収まりきれない。

つまり、楽章の途中でレコードをひっくり返したりする必要がある。

当然、音楽はそこで一旦止まる。

当たり前だと思っていたが、

CDだとそれが必要なくなる!



それに気がついて、俄然嬉しくなった。



まず思い出したのは、マーラーの二番の第五楽章。

あれは必ず面をまたがってしまう。

CDならあの第五楽章を続けて聴けるじゃないか!

わくわくしだした。

と、

もう一つのことを思い出した。

マーラーの二番は、作曲者の指定として、第一楽章が終わった後、5分間の休憩を取るように指示がある。

レコードなら、たいていの場合は一枚目のA面に第一楽章が入っているから、

作曲家の指示を守ることは簡単。

しかし、CDは・・・・





もしかして、CDの場合、第一楽章が終わったあと、無音状態が五分間続くように設定されてるんじゃないか?

なんて想像したりしてた。

ドキドキしながら初めて二番のCDを買って聴いてみると、

何のことは無い、第一楽章と第二楽章は普通に続けて再生されるようになっていた。

な~んだ。。




そんなこともあって、シノーポリのこれはレコードで買ったんだ。




いそいそ買ってきて、ジャケット(箱)をよく見てみると、

このレコードは二番だけじゃなく、歌曲がカップリングされている。

あ、まずい!    と思った。

今まで買った二番のレコードで、二枚組みのレコードのどこにもそんな余裕はなかったように思ったから。

普通の二番のレコードは、

一枚目A面に第一楽章、B面に第二楽章と第三楽章。

二枚目A面に第四楽章と第五楽章前半、B面に第五楽章後半という具合に入っていた。

じゃ、このレコードはどうだったかというと、

カップリングされた歌曲は、当然二枚目のB面に入っている。

後は、、、

一枚目A面に第一楽章と第二楽章。

B面に第三楽章と第四楽章さらに第五楽章前半。

二枚目A面に第五楽章後半。

なんだこりゃ!


第一楽章と第二楽章の間に休憩を入れることも出来ないし、

第五楽章を続けて聴くことも出来ないじゃないか!



第三楽章とあの印象的な第四楽章、さらに第五楽章を続けて聞くことが出来るのは、

確かにいいのかもしれないけど、それならCDを買うよ。



あーあ




と思ったことを思い出した。






まあ、SP時代を考えれば夢のように贅沢な話なのかもしれないけれどね。




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シノーポリの早すぎる死は、なんとしても残念。

この人が生きていれば、今の指揮者界はこんなに絶望的なものにはなっていなかっただろうな。

私自身は未だにこの人の演奏をしっかり聴けてるとは言いがたいが、

それでも何故だか気になって仕方がない。



今回、十数年ぶりに改めて聴いた。

そのビビッドな感覚、

時に見せる言い知れないしなやかな美しさには、心をさらわれるような感覚さえ覚えた。

少年時代にしか感じたことのないような、瑞々しいピュアな美しさ。

それはもはやオーケストラが作り出す音楽じゃなく、マーラーでもなく、美そのもののように感じられた。

こんなに年を取ったのに、心が流れていきそうになって、あわてた。






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暫くシノーポリを聴いてみようと思う。

柄にもなく、すぐさま注文をかけた。

早く来ないかな~

by johannes30w | 2010-10-27 01:27 | オーディオと音楽
2010年 10月 25日

一番

一番を聴こう


ある時から、一番はバーンスタイン以外は聴かなくなった。

小澤がボストンと録音した鳴り物入りの一番を、買って、がっかりして、

それ以来はほとんど一番を買わなくなった。

だって、ハイドンみたいなマーラーだったんだもん。

日曜のすがすがしい朝に聴けるマーラー。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・


先日、だーだちんが帰ってきてた。

一緒にごんたどんちに行っていろいろ聞かせてもらった。

ごんたどんは、最初にオーケストラをかけた。

だーだちんは、暫く聞いた後に、クラシックではさっぱりわからんと叫んでた。

何でそうなるのか、考えてた。


自分のことを振り返ってみると、

最近まで私はJAZZをほとんど聴かなかった。

嫌いなわけじゃないんだが、だーだちんじゃないが、さっぱり判らなかった。

何故聞けるようになったのかはよく判らないが、ある時からかなり聴くようになった。

どんどん聴いて、聴くようになって、どんどん聴くようになって、

クラシックの聴き方も深くなっていったように思う。

演奏者の心を抉るような聴き方をするようになった。



そういう聴き方をするならば、クラシックでも器楽曲を聴くことが多い。

大きい編成でもアンサンブルまで。




だーだちんはビッグバンドはあまり聴かないみたいだから、

もしかしたら、そんな聴き方をしているのかもしれない。




オーケストラの再生は、そういう意味でも非常に困難なのかもしれないね。

一人一人の演奏者の息遣いまで聴こうとすると、当然ボリュームも大きくなる。

等身大で、JAZZトリオは再生可能かもしれないが、

そのままの等身大で、100人を超す状態を再現しようなんて考えるのは、おバカの証拠なのかもしれないが。




一般にオーディオの世界で言われるのは、

「スピーカーの間にオーケストラがずらりと並ぶ」なんていうこと。

パッとこういう表現を聞くと、わくわくしてしまうが、

よく考えてみると、それはミニチュアオーケストラの構築を意味している。

確かに二階席から遠くにオーケストラを見渡すと、そういうふうに感じるかもしれないが、

しかしね、

現実にはそういうふうに録音されたレコードも少ないんだ。

ワンポイント録音であっても、ソロの部分はマイクを足したりして、補助しなければ、

現実の録音ではうまくいかないらしいしね。



それに、ミニチュアオーケストラで聴くと、どうしてもメロディーを追いかけておしまいみたいな聴き方になりがちだよね。

深く聴きにくい。






どのみち録音なんていうものは、そのエンジニアの裁量が大きくモノをいうのであって、

「素」のまま録音すればそれでいいなんてものじゃない。

第一、「素」でオーケストラが録音できるわけが無い。

一度でもマイクを触った経験があるなら解るだろうけど、

マイクを配置して、オーケストラを録音するなんて、考えただけでもぞっとする。

不可能だとすぐに判っちゃう。




それでも多くのエンジニアは、なんとかこれを伝えようと頑張ってくれるんだけど、

そうなると、何を伝えたいのかというそのエンジニアの音楽観にかかわってくる話になるよね。

伝えないといけないこと、それは「音場の広がり」なんかじゃなくて、先ずは「音楽」なんだよね。





もし、一人一人の演奏者の息遣い全てが感じられるオーケストラ再生が可能になったら、

だーだちんにもオーケストラを喜んでもらえるようになるのかもしれないね。



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改めて一番を聴いていった。

結局、バーンスタインに戻っちゃうのだが、

内容的には旧盤でも新盤でもいいな。


あえてどちらかを取らねばいけないなら、

旧盤を取る。

演奏内容じゃなくて、その録音で。



これも録音が良いとか悪いとかじゃなく、

新盤のあるところがどうしても気になるから。



新盤は、コンセルトヘボウとの演奏なのだが、この時代のバーンスタインの録音は全てライブがその主体。

この演奏も、おそらくライブ録音をその核としているのだが、

そのせいか、

曲の最後の打撃音が、エコーを使ってうまくごまかされてる。

おそらくおそらく、曲が終わるか終わらないかで猛烈なブラボーがあったんだろう。

それを消すために、打撃音が入った瞬間、録音の再生を止め、人工的なエコーを付加してる。

人工的エコーは我慢できるが、打撃音が立ち上がり、立ち下がる(変な日本語)のを待たずしてエコーに切り替わる。

打撃音が、きちんと終了しないんだな~

これが、私には非常に辛い。

実はこの新盤の全集は、ほとんどがそういう曲の終わり方(編集)をしている。

つまらんところを気にしなくていいと言われそうだが、気になるものはしかたない。

空前絶後の全集なだけに、辛いんだ。



で、

ニューヨークフィルとの旧盤をとる。





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これはバルビローリ・ハレの一番。

1957年の録音。


音は、悪い。




しかし私は、その音の悪さは、このレコードのせいだと確信している。

今となっては、録音年代の古さなどは全く気にならない。

上に書いたバーンスタインの旧盤も新盤も、素晴らしい録音として聞ける。

よくレコードの評などで見かける「この演奏は素晴らしいんだけど、いかんせん録音が古く、音が悪い」なんていう言葉は、

全く見当違いだと言い切りたい。



もはや古い録音は聞くに堪えないなんて感じない。

周波数レンジも、ダイナミックレンジも、ほとんど不足を感じない。

それほどエンジニアは工夫を凝らし、ありとあらゆる技術を用いて私たちをだましてくれる。

素晴らしい。


なんとかだまされたい。



上のバルビローリのレコードの音が悪いのは、

再プレスが良くないに違いない。

私の今までのつたない経験でも、そのことははっきりわかる。

オリジナル盤であるならば、素晴らしい音楽を聞かせてくれるだろう。

優れたエンジニアが携わった再プレスなら、もっと聞かせてくれるのかもしれないが。

再プレスというのは、もはやオリジナルではなく、オリジナルのコピーであることを認識すべきなのかもしれない。




・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・




アルテックのアンプが揃ってきた。

あとはセンター用のアンプだけ。

今夜はこいつでちょっとJAZZを聴いてみよう。


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by johannes30w | 2010-10-25 00:50 | オーディオと音楽
2010年 10月 19日

さすらう若人の歌

まずこれを聴こう


さすらう若人の歌


最近は、「若きウェルテルの悩み」なんかを読む若者はいなくなったのかもしれないね。

妙に頭でっかちの子供ばかり。

実際の経験は全く無いのに、中途半端な知識ばかり増えてる。

経験が無いから、いつまで経っても幼い。

物事をまっすぐ見ない。

真実を体験することを拒否しているようにしか見えないんだけどな。


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これはフィッシャー=ディースカウが歌った名盤と言われてきた録音

指揮はフルトヴェングラー  フィルハーモニア管弦楽団



ディースカウは後にベームとこれも名盤の誉れ高いレコードを作った。

私が最初に手にしたレコードは、このベーム盤だったが、

何故だかフルトヴェングラー盤の存在を知って、どうしても聴きたくなった。

どこからそういう噂を仕入れたのか、思い出してみてもよく判らないな。

確かにあの頃すでに「レコード芸術」なんて本を一生懸命読んでいたが、

そんな話題にはめったに出会わなかったはず。

どうやって知ったのだろうか。



ともかく、フルトヴェングラー盤の存在を知った私は、それを探した。

今みたいにネットがあるわけじゃなく、

調べる方法も知らず、

要はレコード屋の店頭に無ければ、それで万事休す。

当時は私が行けるレコード屋は川向かいの松坂屋の中にあったワルツ堂だけだった。

生まれて初めてのレコードもここで買った。

いや、買ってもらった。

自分でレコードみたいな高いものはなかなか買えなかったから、

田舎から祖母がやってくると、一緒に行って、一枚買ってもらった。

私がレコードを物色している間、祖母は階段横のベンチで何もせずに待っていてくれた。



あそこにある気に入ったレコードを、全部聴けたらどんなに素敵だろうと夢見てた。


全部は欲しくなかったな。

欲しくないレコード(ジャケット)は明確にあったのが、今思い出してもおかしい。



レコード屋と言えば、そのワルツ堂しか、ほとんど行ったことはなかった。

梅田なんか、一人で行ったこともなかった。



そのワルツ堂に探しに行ったが、

案の定、見つからない。

これで、私の全ての選択肢は無くなった。



がっかりして、家に帰って、

もしかしたら、

と思った。


商店街にレコード屋は無かったっけ?




もう一度、お小遣いを握り締めて、商店街に向かった。

うちのそばには日本一長いと言われる商店街があった。

一丁目から八丁目まである。

家は一丁目の傍で、その周辺にはレコード屋は無いのは知っていた。

でも、向こうの方に行ってみたら、、、






一丁目から歩いていった。

どんどん歩いていった。

二丁目を過ぎようとしたが、やっぱり無い。

三丁目、ぼちぼち知らない風景。

一気に心細くなったが、我慢して、まだまだ歩いた。

四丁目が終わっても、レコード屋は無かった。

そりゃそうだよね。

田舎じゃあるまいし、レコードを買う人は、百貨店か繁華街に行くよね。

でも、なんだか引き返せずに、まだまだ歩いた。

いつまでも引き返せそうにない気がしてきたので、自分の中で約束事をした。

六丁目まで行って無かったら、帰ろう。

頑張って歩いた。

五丁目に入った。

すると、

レコード屋らしき店が見つかった。




看板が無い。

妙な引き戸があって、飾り気の無いガラスが入ってた。

覗き込むと、レコードが並んでる。

並んでるが、宣伝のポスター一つ貼ってない。

真っ白な壁に囲まれて、レコードだけが並んでる。

中は蛍光灯だけの照明で、事務所より殺風景

勇気を出して、

勇気を出して、

店に入った。



隅のほうにレジがあるように思えたが、

しっかり顔を上げてじろじろ見回すことが出来ず、

クラシックという文字を探して少し店の中を歩いた。

やっと文字を見つけてレコードを見ていった。

何故だか極度に緊張していて、何を探しに来たのかさえ忘れてしまいそうだったが、

虚ろに、それでも一生懸命見ていった。








あった!



なんだか冷や汗をかいたような気がした。



BGMも何も無い静かな店の中、自分のゴム靴がたてる音が妙に響いて、



一番奥にあったレジへレコードを持っていった。

おばさんがレジをチーンと鳴らし、私はお金を払った。

初めて見るような分厚いビニールにレコードを入れなおしてくれた。



妙な引き戸は酷く閉めにくかったが、なんとか閉めて、

でも帰り道は全然覚えていない。








フルトヴェングラーは、

やさしく、ふかく、うつくしかった

by johannes30w | 2010-10-19 09:31 | オーディオと音楽
2010年 10月 17日

早くも一休み

のめり込みすぎたか、

次に何番を聴こうかと考えていたが、

なかなか選べない。



マーラーなどをまともに聴いちゃうといつもこうだ。

気持ちと頭の中が一杯になっちゃって、

一週間くらいは何もまともに聴けない。



プレーヤーを回し、アンプの電源を入れるのだけれど、

なかなか鳴らせない。

鳴らし始めても落ち着かず、

すぐに止めちゃう。



そんな時、無理やり聴くのはばかばかしいし、

作品にも失礼だから、

スピーカーを前にして、

無音でじっとしているのが正しい。



唯一聴けるとすれば、

いや、

鳴らすことが出来るとすればそれはバッハで、

ヘンデルでは優しさが鬱陶しいし、ハイドンでは能天気になる。

たいへん不遜な言い方だが、今はそう聴こえてしまう。




フランス組曲を何度も何度も鳴らしながら、

心が静まるのを待とう

by johannes30w | 2010-10-17 00:45 | オーディオと音楽
2010年 10月 15日

7番 「夜の歌」

世間的には7番の話題は少ない。

一般的な言い方をすれば、難解だと言うことになる。

難解だから、みんな触れたがらない。

そういう言い方をするならば、マーラーの全ての曲の中でも最も難解だと言えるだろうね。

何を言いたいのか解らない。

つじつまが合わない。

無関係だと思える主題が前触れも無く現れ、そして消えていく。



さっぱり理解できないということになる。


コラージュのように、すべてのテーマが脈絡無く提示される。


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よって、難解(?)ということになるのだが、

ある評論家曰く、それこそマーラーの本質じゃないかと。



この意見には賛成も反対も出来ないが、

マーラーが真のポリフォニーを目指したことは確かなんだ。



6番と比較して考えてみれば判る。




第一楽章などは、6番の第四楽章と構成は瓜二つに思える。

だが、そこに描かれているものは、手法も目的も全く違う。

6番を例に出さずとも、交響曲というものは、多かれ少なかれある「目標」というものがあり、

常にそれを目指して展開していく。

マーラー自身も言っているが、

謂わば隠されたプログラムのようなものがあり、その一つの目標に向かって曲は進んでいく。

それがベートーベン以降の交響曲と言われるものだ。



しかし、

マーラーはここでははっきり新しいポリフォニーの創造という事業を完成させようとしている。

それまでも、ポリフォニーについてはマーラーはことあるごとに言及していたようだが、

ここに来て、その理想をはっきり確立したかのように思える。



ある時、マーラーは仲間と一緒に森を散策していて、村の祭りに出くわした。

回転木馬やブランコ、射的上や人形芝居からの手回しオルガンの音。

軍楽隊の合奏や男たちの合唱。

それらすべてがみな同じ森の草地の上で、

「相手構わず信じられないようなすさまじい音楽をやって」いた。

この時マーラーが叫ぶ

「聴こえるか?  あれがポリフォニーだ」

「いまやっている騒ぎのなかだろうと、千羽の鳥のさえずりのなかだろうと、吹きすさぶ嵐の中だろうと、

波の音、火の燃える音、なんであれ、そこから聞こえるものに変わりは無い。

これとまったく同じように、種々のさまざまな方角から、さまざまなテーマがやってくるはずだ。

てんでんばらばらなリズムとメロディーで。

ただし、それに秩序と統一を与えて調和した声と響きの全体を作り上げるのが芸術家だ。」




この言葉が発せられたのは1900年の夏であったが、

この言葉が成熟し、このままの形でとうとう確立・完成したのが7番であると言い切ってしまいたい。



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なぜ7番なのか。

普通、音楽学者は5,6,7番をひとくくりにして、分類する。

確かにそれまでの2,3,4番はすべて声楽付の交響曲で、5,6,7番は純器楽曲として交響曲が作られている。

それに、ポリフォニーの考え方は、5番にも、6番にも要素として見られる。

しかし、純粋に、新しい真のポリフォニーとして完成されたのは、7番が最初で最後。

ここに7番の解釈の難しさとヒントがある。




改めて、上記のマーラー自身の言葉からポリフォニーについて考えてみる。

今も昔も音楽の主体は自己にある。

隠されたプログラムというのはそういうことだ。

そのプログラムが形而学上のものであっても、そうでなくても、

(交響曲はプログラムが形而学的であることが多いが)

主体は自己。あるいは一つのもの。


聴くものは、音、曲で表現されたその主体を聴く。




しかし、マーラーが目指した新しい真のポリフォニーは違う。

真のポリフォニーとして音楽で表現されるのは、その主体ではない。

その主体ではなく、その主体とは全く無関係な主体の周りにある種々雑多な存在なのだ。





もう一つ確認しておかなければいけないことがある。

音楽とは何なのか。

音があれば音楽なのではない。

音が意識を持って発せられたものが曲となり、

その曲によってももたらされた精神の動き、これが音楽なんだ。




マーラーは森の中で、自己と全く関係なく発せられた種々雑多な音響を聴いた。

マーラー自身とは全く関係ない音響を聴いた。

マーラーの人間とも、感情とも、そのすべての存在とも関係ない音響を聴いた。

そこにポリフォニーを観る。




音響によって、全く無関係なその雑多な音響によってもたらされた精神の動き、

これがポリフォニーと、その音楽なんだ。




本当のポリフォニーをとうとう完成させてしまったのが7番。

真のポリフォニーの姿がここにある。

音楽史上、この曲をおいて他には存在しない。

現代作曲家が実験として数々行ったが、実験の域を超えず、とうとう音楽にはならなかった。




マーラー自身の交響曲においてもそうだ。

5番や6番にもさかんにそのポリフォニー的要素が見られるが、あえて言えば全体としてポリフォニーにはなっていない。

6番などは、逆に極端に主体の音楽になっている。

6番の反省から7番に到達できたんじゃないかといぶかってしまうほど。







だから、

7番を聴くのに主体を探してはいけない。

そんなものはどこにも存在しない。

難解といわれる真の理由がここにある。

7番はあくまでポリフォニー。

つまり主体は存在しない。

無関係な音響が存在するのみ。




無関係な音響に包まれて、

さまざまなテーマがぐるぐる取り巻き、

リズムやメロディーに置いてきぼりにされて、

何を感じる?


その感じたものが、7番の音楽




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7番にのめり込んでいる。

システムは、とうとう本気になってくれたようだ。

もはや音が良いとか悪いとか、音像がどうのとか音場がどうだとか、

何も気にせず聴けた。



忘れることが出来て、初めて存在意義が大きくなるなんて、

オーディオなんていうものは、なんて天邪鬼な存在なんだろう。

今までの、あのいつ果てるとも知れない地獄のような苦しみや喜びは、

存在を消すためのものだったんだ。



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真のポリフォニーを音楽として成り立たせた作曲家を他には知らない。

前述のマーラー自身の言葉を見るまでも無く、7番はその構成において、完全なものを持っている。

主体を持つ6番の構成が、ある意味いい加減でも成り立ってしまうのとは逆に、

ここではいい加減なんていうことは許されない。

曲として成り立たせているのがその構成・構造そのものにあるから。

しかし、ここではその構成・構造について書くのは止めておこう。

そんなものは、偉い学者先生に任せて、

我々は7番に付いた「夜の歌」という副題についてもう少しだけ考えてみよう。


「夜の歌」なんていう副題は、マーラー自身が付けたものではない。

この交響曲の第二楽章と第四楽章に「夜の歌(夜曲)」と副題を付けたのはマーラー自身ではあるが。

異様な第三楽章のスケルツォを挟んでこの2つの「夜の歌」が置かれている。

全く性格の違う「夜の歌」が置かれている。

両方とも自分が歌う歌ではなく、ポリフォニーとして、聴こえてくる音響だ。

この2つの「夜の歌」が聴こえてきて、

あなたは何を感じるのだろうか?



言いようの無い孤独か?

死に絶えそうな優しさか?

はけ口の無い苛立ちか?

頭の中でぐるぐる回る悪夢か?

by johannes30w | 2010-10-15 01:18 | オーディオと音楽
2010年 10月 10日

チクルス 2010

始めよう


前回はどういう感じだったのかなと、自分の過去の記事を確認してみた。

昨年にやったものだと思い込んでいたら、前回はなんと2007年の春。

もう三年も経ってる。

驚いた。

ここ数年の記憶はあまりに凝縮されている。




ざっと読んでいくと、自分のオーディオも現在のものとは全く違っている。

マンハッタンシステムも、まだ4520を中心に組まれている。

2360ホーンは3本配置され、ツイーター実験の真っ最中。

中央のアンプタワーも健在。

ちょうど右上の写真の頃だ。

プリ部はノイマンとアンペックスの一騎打ちが続いている。

アナログ部は手を抜かれてるのがはっきりしており、本気のかけらも無い。



懐かしいような恥かしいような。






    ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・




7番から始めよう。

先日非常に不快な思いをしたので、もうつまらないことは考えずに聴きたいものを聴こうと思った。

今や我が家でもアナログが聴ける。

CDラックだけでなく、レコード棚を何も気にせず探せるのはなんという幸せか。

取り出してきた。

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これはアバド。シカゴ響との演奏。

アバドがマーラーの録音をどんどん始めたその頃の演奏。

1984年の録音。

アバドはマーラーの2番でウィーンフィルとザルツブルグデビューを果たしたわけだが、

その演奏会でウィーンフィルとの関係を確立したと言われている。

アバドの一連のマーラー録音も、シカゴ響との2番で始まったように記憶している。

いま手持ちのレコードで確認したら、その録音が1976年。

その2番のレコードも夢中で買ったのを覚えている。

同門のメータも2番をウィーンフィルとデッカに録音し、名を上げた。

そのメータの2番には私も夢中になった。

メータの録音は1975年。

思い出深いレコード。



あの頃はホントにわくわくしてたな。

レコード芸術の新譜案内が待ち遠しかった。

レコーディングのニュースもくまなく確認してた。


カラヤン・ベーム・バーンスタインがバリバリやってて、

凄い若手がガンガン出てきてた。

あんまりあの時代のイメージが強いもんだから、

アバドは私の中では未だに若いイメージが強い。


しかし現在、

アバドは重鎮に近い。

アバドが死んじゃったら、もう誰もいなくなっちゃう。

指揮者界はどうなっちゃうんだろう。







三年前とはシステムも大きく変わった。

全体の構成はほぼ落ち着いたと思う。



マンハッタンシステムもさまざまな実験と、実践、試行錯誤を重ねに重ねてきた。

4520から4550に大きく変わり、とんでもなく大暴れした音が、何故だか一気に収束へ向かった。

あれほど悩んだプリ部も落ち着いている。

今やアナログだってきちんと聴ける。

なんと幸せなことか。



音楽の聴き方も大きく変わった。

いずれそのことも書いていこうとは思っているんだけど、

ここ数年で大きく変わったことを実感する。





すべての要素が成熟しようとしている今、

再びチクルスを行うことは、

私にとって大きな意味があるのかもしれない。

私の音楽体験の重要な時がやってきたのかもしれない。


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by johannes30w | 2010-10-10 20:57 | オーディオと音楽
2010年 10月 05日

指揮者

hasegawaさんからマーラーのチクルスをやったらどうだとの提言をいただいたので、

そろそろやっていこうかと思った。

で、

前回出てきた演奏は無しにして、出来る限り新しいものを選んでみようと思った。

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ひどい!

ひどいものばかり。。

なんだこいつらは!


指揮者の人材難の時代だとは思うが、こんなに酷くていいのか?


過去にこんな酷い時代は無かった。




いろんなメディアで注目されたCDも、気になるものは聴いてきたつもりだが、

改めて聴いてみると、

酷いものばかり。


こんなのを褒めたのは誰だ?


演奏だけじゃない。

優秀録音なんて太鼓判を押されたCD

何でこれが優秀録音か!

どんな装置で聞いてるんだ?

ラジカセで聞いてるんじゃないか?



無性に腹が立ってきた




こうなりゃ酷いのを聴いてやる

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テンシュテット・ロンドンフィルのライブ

悪名高きローヤルアルバートホールでの演奏。

ロンドンフィルはバラバラ。とちりまくり。金管が出れない。合わない。

録音も酷い。自分のオーディオが壊れたんじゃないかとびっくりする。

盛大なヒスノイズ。耳を切るような金管。カスカスの弦。

テンシュテットはいつぶっ倒れるかもしれないような、張り詰めすぎた指揮をしてる。


でも、ここに音楽がある。

いいCDだ。

by johannes30w | 2010-10-05 23:49 | オーディオと音楽
2010年 10月 05日

アルテックシアターのアンプ

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うちのシアターは、当然アルテックが中心。

100%ではないが、じりじり完成に近づいている。

シアターにはあまり力が入らないし、いいかげんでもそこそこ満足しちゃうのでなかなか進まないが、

ま、それくらいのペースがちょうどいいのかもね。



スピーカーは、ほぼまとまっているが、アンプがなかなか揃わない。

アンプ部も、出来る限りアルテックを使いたいしね。

アルテックのアンプは大好きだし。。



数ヶ月前、

いいのを見つけて手に入れた。

1609と言って、チャンデバ(?)が既に内蔵されているパワーアンプ。

アンプ内部で500、800、1500Hz分割され、ハイとローの二つの出力を持つ。

要はこれ一台で、A7、A4、あるいは604なんかをネットワーク無しで駆動できる。



あー、うちの817とマンタレーからなるメインスピーカーにぴったりだと思って手に入れたのだが。。。。






アンプがやってきて、先ずはフルレンジスピーカーでチェックする。

ほほー、上手く鳴るね~と喜んで、もう一台のチェック。

電源を入れると、





あれ?



臭いぞ?





何だか燃えてる。



アンプが燃えることには慣れっこだから、別に慌てはしないが、

やはり悲しいね。





で、

一度もしっかり音出しすることなく入院。

それがそれこそ数ヶ月前。。










すっかり忘れていたわけではないが、

数ヶ月が過ぎた







タイキョアンさんと話をする機会があった。

彼は彼で、手に入れたUreiミキサーに手を焼いているようだった。

以前にメンテナンスしたはずだったが、

再びおかしくなって、私と同じ店にメンテに出した。

あまりにも時間がかかりすぎるということで、

問い合わせてみると言う。



なら、

ついでに私のアルテックアンプのことも訊いておいてくれませんか?






タイキョアンさんからはすぐに返事が来た。

お店は、

「この週末には出来上がります」

と言ったらしい。。





あー、





まあよくあることだ。






で、

数ヶ月ぶりに帰ってきた。


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2チャンネル出力があるとはいえ、基本がモノラルアンプだから2台



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ボディのわりに、異様に重たいのはこのでかいトランスのせいだね。

現代のプロ機なら、1000Wクラスの重さだな




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ほら、2分割されてるでしょ?



この分割周波数と、レベル調整は、前面のパネルを開けて調整する

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きちんと鳴ることを確認して、ラックにセッティング

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下の緑のアルテックパワーアンプはサブウーハー用の1590

モノラルパワーアンプばかりで面倒なことだ。





この1590は、かなり力を持っていて、

だからサブウーハー用としたのではあるが、

こいつで鳴らすサブウーハーは超強力!

817+マンタレーを中心とするメインスピーカーが霞んでしまう。

このサブウーハー部はさすがに私もちょっとやりすぎか? とも思ったが、

メインスピーカーを1609で駆動してやると、

何の問題も無く、すっきり収まった。



パワーアンプが持つエネルギーは、W数だけでは計れないことを、またまた思い知った。


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本命アンプが帰ってきて、

上手く行って、

ご機嫌。


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後はセンタースピーカーとサラウンドスピーカー用のアルテックアンプをのんびり探そう。

今でも私には十二分に贅沢だから、のんびりと。。。

by johannes30w | 2010-10-05 11:09 | オーディオと音楽