ダークサイドへようこそ

johannes30.exblog.jp
ブログトップ
2013年 05月 28日

シャコンヌ

ブゾーニ編曲のシャコンヌを聴こうと思い、



自分が何を持っていたのか思い巡らしてみたが、



ああいうものは、何かの曲集のアンコール的に扱われて収録されていることが多く、



あれこれ引っ張り出すことは出来なかった。





e0080678_1124654.jpg




唯一思い出したのは、このグリモーによる演奏



このCDは、グリモー自身がバッハのオムニバスとして作ったもので、



全体としてグリモーのバッハ観も投影されており、



とても興味深い素晴らしいアルバムになっている。





比較にもならないが、



自分でバッハ集として編集したカセットテープを思い出す。



どんな曲を選択し、どのような順番に並べるのか、自分なりに知恵を絞った。



残念なのは、



そういうふうに一生懸命作ったテープであるから、



改めて聴こうとそのテープが鳴り出したとたん、



予定された全ての楽曲が頭の中を駆け巡ってしまい、



もう聴かなくていいやと別のテープに手が伸びてしまうことが多かった。





このグリモーによるアルバムでも、



どうしてもシャコンヌは避けられない。



いや、



シャコンヌを中心に構成されていると言ってもいいのかもしれない。



それほどこのシャコンヌという曲は、



古今東西のあらゆる曲の中でもひときわ大きな光を放つ曲と言える。





以前にも少し触れたが、



このシャコンヌという曲は、本当はこの曲一つで独立して書かれたものではなく、



バッハの全6曲から成る「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ集」の中の、



パルティータ第二番の終曲にあたる。



私自身は、



それ以前からシャコンヌは知っていたが、



本当にこの曲の素晴らしさを理解できたのは、



パルティータ第二番を全曲聴き通してからのことだった。



もっと言えば、



その後、「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ集」を聴きとおして、



さらにさらにその素晴らしさをかみしめた。







もちろんどんな聴き方があっても良いわけで、



私自身は出来ないにしても、



ポータブルプレーヤーのヘッドホンで、マンガを見ながら聴いたっていいと思う。





ただ、



そういう聴き方では、音楽の数分の一も感じ取ることは出来ないことは、理解しておくべきだよね。



その数分の一以下のものでも、音楽は十分に魅力的だから、そこで納得しちゃう人が多いのも事実だけど。







ヘッドホンで聴きなれたなら、BGMとして聴き馴染んだなら、



一度は音楽だけに集中して聴いて欲しい。



何も見ず、動かず、ひたすら音だけに、音楽だけに集中して聴いて欲しい。



シャコンヌだったら、たった十数分だからね。





集中しにくい人も居るかもしれないが、



そういう場合には、とりあえず爆音で聴いてみればいい。



独奏バイオリンを爆音で聴くなんて、



オーディオの常識を甚だしく逸脱する行為に思えるだろうが、



つまらない常識にとらわれていては、何も始まらない。



オーディオ的常識や快感、ギミックの面白さは一旦忘れて、



とにかく音に、音楽に集中してみよう。



一音に込められた演奏家の気迫を聴こう。



演奏家の息遣いを聴き取ろう。



演奏家のいかにくいしばって一音を出しているか、感じ取ろう。







それが感じ取れるシステムこそ、本当のオーディオだと思う。



もちろん付加価値として、様々なギミックがあってもいいが、



伝えることの出来ない無いギミックばかりのオーディオは、もはやオーディオとは呼びたくない。



iPod等のヘッドフォンステレオとオーディオの違いは、そこにある。



オーディオと呼ぶからには、iPodよりもはるかに音楽を伝える能力を持っていなければいけない。



先ずはその能力が第一なのであって、ギミックだけではすぐに飽きる。









なんだかいつもの繰言になってきちゃった。。










音楽は、結局のところ、

感情の表現なんだと思う。

ありとあらゆる感情の表現がある。



その感情が言葉で言い表せるのなら、その表現は言葉でなされるべきだ。

言葉にならないものがあるから、

言葉では言い尽くせないものがあるから、

だから音楽がある。


たしかに、芸術で美を感じることも多い。

しかし、その美の後ろに隠れる人の存在を忘れてはいけない。

燃え滾る血潮を持った人の存在を忘れてはいけない。

限られた時の中でもがく人の。


そしてそれは、いつしか自分自身の投影。













バッハはこのシャコンヌを書こうとするその時に、


自身の妻の死の知らせを聞いたといわれている。




そのことが事実かどうかは、歴史学者でもない私にはわからない。


しかし、その伝説が本当だと思えるほど、


このシャコンヌは、感情の起伏が激しいのも事実だね。






もし、その伝説が本当だとしても、


しかしあえて言えば、


それだけであの曲が出来たと考えるのは、


あまりにロマンティックが過ぎる。






前にも書いたとおり、このシャコンヌは、パルティータの2番の一部で、


さらにそのパルティータ2番も、全6曲の一部で、


その全ての曲が、このシャコンヌをクライマックスとして、見事に構成されている。


つまり、最初から全てが厳密に構成されているもので、


シャコンヌだけが突発的に生まれたわけではないんだ。






残酷な言い方かもしれないが、

芸術は、それだけで成就されるほど生易しいものではない。







e0080678_127826.jpg




無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲



しかし、

ここに何を聴くのかは、

その人の人生が決める
[PR]

by johannes30w | 2013-05-28 02:14


<< 東へ      昨夜の成果を >>