人気ブログランキング |

ダークサイドへようこそ

johannes30.exblog.jp
ブログトップ
2006年 08月 14日

ピアノソナタ

 ベートーベンの後期ピアノソナタが音楽史上も最も重要な位置を占めているのは誰でも知っている。

古くはバックハウスの時代から、ポリーニ、ブレンデルまで、名盤も数多く存在する。

しかしいったいこれらの作品を録音しようとする演奏家の気持ちとはいかばかりだろう。

その作品に押しつぶされないのだろうか。




指揮者は、晩年になると急ぐように大曲を録音していく。

マーラーの9番や、ブルックナーの9番などを録音しはじめると、私などのように下世話な者は、その指揮者が自分の死期を悟ったんだと感じてしまう。

死ぬ前にやっておかなければという気持ちがその指揮者をこれらの曲へと駆り立てる原動力となっているに違いない。

いや、そう思いたい。



そう思わざるを得ないような曲が確かにある。



ベートーベンの後期のピアノソナタ群も、そういう曲。

e0080678_22302664.jpg


これはピリスが弾いたピアノソナタ第30番。






女流ピアニストという言い方がある。

「ショパンは女流ピアニストではだめだ」なんていう言い方をする。

その意見自体には賛成はしないが、頷ける点も多々ある。

別に女流がどうというのではなく、女には女の、男には男の、若者には若者の、老人には老人の奏でる音楽がある。



ベートーベンの音楽の、特にこういう晩年の曲は、それこそ男性の厳しく奏でるべき音楽であると考えられる。私もそう思ってきたし、その考えもさほど変化していない。



ピリスはもちろん女流ピアニストではある。
しかし、この30番の演奏は、単純に女流ピアニストの演奏だとは言いたくない。


男性的だと言っているのではない。
人として、演奏している。


誉めすぎかもしれない。

でも、女性としてではなく、まず人として、そして女性としての素直な演奏がここにある。





ベートーベンが、最晩年に静かに長調の曲を書いた。

なぜ長調なのか。

なぜ途切れるように曲が終わってしまうのか。


私のどこかにしみ入ってくる

by johannes30w | 2006-08-14 23:09 | オーディオと音楽


<< 飲めないくせに      ベートーベン >>