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2008年 09月 08日

時計

いつ21グラム減るんだろう



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幼い頃、死が怖くてしかたがなかった。

無ということが、空恐ろしく、、、


眠っている間に死んでしまったら、わからないじゃないか。


感じることも無く、考えることも無く、全てが無



無になった自分の存在が、考えれば考えるほど悲しく恐ろしかった。


天国など信じられず、あの世など在るわけなく、それなら無になるだけじゃないか。



少し客観的に見れば、私が死んだところで地球全体としてのエネルギーは保たれているはずだ。

そういう意味から言えば、死は何の変化ももたらさない。

しかし、私自身の変化は、この思考する存在としての私自身は、私自身の問題として無となる。

恐ろしい



だが、私自身の死の恐ろしさは、私一人で耐えればいい。



肉親の死を考えるとき、いてもたってもいられなかった。

肉親の精神、肉体が無になってしまうと考えてしまったとき、かわいそうで、悲しくって、情けなくって、

どんどん涙が出てきた。



怖くって、悲しくって、かわいそうで、情けなくって、

夜は嫌だった。


あんまり気持ちが納まらず、どうしようもなくなった夜は、時には母親を起こした。




母親は、

時には優しくなだめてくれた。

時には怒ってくれた。




そんな心配はしなくていい。

大人になれば解ります。






大人になったら何が解るんだろう。大人になっても解ることなど無いはずだ。


と、思ってしまうのだが、

人に触れれば人間は安心する。


やっとの思いで眠りに付き、そうやって毎日を越えていた。






あれから何十年もの歳月が過ぎ、

わたしもすでに大人になった。


解ったことは、

何も無い。


ただ、恐ろしさから目をそむける方法と、悲しさを紛らわせるコツを知っただけだ。




   ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・




幼い頃、長いお休みには母親の里に行った。

田舎へ行った



その大きな家の玄関を入ると、右手に大きな柱時計があった。

いつから在るのかは知らない。


今も在るんだろう。



昼間はほとんど意識しなかった。


昼間は従兄弟達と、全てを忘れて遊んだ。




夜になり、雨戸が閉められ、蚊帳の中に布団が敷かれた。

玄関脇の部屋から中の間をはさんで、「おもて」と呼ばれる広間で寝た



欄間からは、かすかに光が漏れている

木張りの天井には無数の木の模様が浮き出ていた



天井の模様は、全て意味のあるものに見えた。

慣れない布団が新鮮で、しかしどこか心細かった。




早く眠れないかなと改めて我にかえると、昼間はまったく気付かなかった柱時計の時を刻む音がいやに大きく聞こえてくる。




あんなに大きな音だったっけ。





ひどくはっきりと、でもどこか木質の響きを伴って、その音は時を刻んでいる。


容赦なく、まったく容赦なく、刻み続ける。




時は、刻むことで、どんどん過ぎていく。

追い立てるように、過ぎていく。




一瞬一瞬が、捕まえたくとも、触れることもできず、



どんどん過ぎ去っていく







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「夜の歌」


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夢か


脈絡の無い悪夢のコラージュ







優しさも


悪夢の中






浮遊




しっかりした地に足をつけようと伸ばしたつま先は、宙を切る







狂ったような行進




全力で・・・・






明るく、


空しく、





どこへ?




いつ終わる?






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by johannes30w | 2008-09-08 03:08 | オーディオと音楽


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