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2008年 10月 01日

私的レコードプレーヤー考  1

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昔、自分の家が火事になったら何を一番に持ち出すんだろうなんていうことを良く考えた。

あのレコードと、あれとあれと、と、思いつくものは全てレコードだった。


いまその時のことを思い出して、それがオーディオ機器じゃなく、

レコードであったことに改めて気が付く。

当時は、それを使っている90%が私であったにせよ、

それはあくまで家族のもので、私のものではなかったのだが、理由はそれではない。


現在、じゃあお前は自分個人所有としてのオーディオ機器を持ち出すのかと訊かれれば、

これはもう物理的に不可能で、30wエンクロージャーに抱きついて、

もろともに焼けて灰になるしかない。


残るのは、骨とフレームか。




なんてバカな話を言ってるんじゃない(いつものことだが)。




そんな思いを抱くのは私が育った時代によるものなのであろうが、

私はレコードというものを、とてもとても大切なものと感じてしまう。




それは、レコードが、オーディオなどの機械ではなく、音楽そのものと感じてしまうから。





音楽なら生演奏が一番と言う人たちが多い。

基本的にはその意見に逆らうつもりは無い。


しかし、生演奏でいい演奏なんて、私は長く音楽を聴いてきたが、数えるほどしか無い。


つまらない生演奏なんて聴くぐらいなら、何ものにも邪魔されず、いい演奏のレコードを集中して聴きたい。

その方が、はるかに豊かな音楽体験ができる。


現場での音楽の喜びが欲しいなら、気の知れた仲間と、へたくそなピアノを叩いたり、

ギターをボロボロ鳴らしてがなりたてた方がはるかに楽しい。


少し極論に過ぎるけど。





レコードは単なるパッケージソフトで、そういう意味でCDやDVDと何ら変ることが無い。

ではなぜレコードが、あれほど音楽を感じさせてくれるのか。




それは、CDや、DVDには無いソフト再生の儀式とも言えるオーガニックな関わりが、

まずはそこに存在するからだ。



自分のちっぽけな部屋を音楽で満たそうとする時に行うその儀式は、

故に音楽を行う行為となる。



レコードの扱いを見れば、その人の音楽への想いが解ってしまう。






レコードを取り出し、それをターンテーブルにそっと置き、アームを操作し針を降ろす。

その一連の行為が音楽に携わる行為、音楽再生そのものの行為であるならば、

その操作は、メカを操作する楽しみよりも、音楽を奏でる喜びを感じさせるものであるべきである。



少なくとも、その気持ちに水を差すようなものであってほしくない。




おのずとレコードプレーヤーに対する要求は厳しくなる。






あの鈍く虹色に光るレコード盤を見る時、誰でも夢を見たいと思うはずなんだ。


夢から覚めたくないと願うはずなんだ。
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by johannes30w | 2008-10-01 23:28


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