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2009年 01月 13日

パッサカリアとフーガ

アナログは、面白いが、手を付け出したら終わらない。

どこかでキリをつけないと・・・




今日、新しいスプリングが届いた

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現在使っているものとは違うもの


同じスプリングばかり使うとその固有振動はいつまでたっても減衰しないから、

しかしダンパーを使うわけにもいかないので、

違うレートを持つスプリングを合わせて使う。

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これで「いつまでもゆらゆら動いてる」状態は無くなった。

沈み込みが少なくなったので、もう少し重量を増やしたいところだが、とりあえずこれで行こう。




カートリッジの選択は、終わったようで終わらない



先日、Mさん、kenplinさん、総裁がいらした時はFRを使っていたが、

ヘッドがピョコピョコ動くのが、さすがに私も気になってきたので変更




オルトフォンMC20MkⅡ

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これの自重は7グラム、FRは10.5グラム。

たった3.5グラムの違いだが、これであのピョコピョコは嘘のように無くなった。

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またまたじりじりとアーム調整

そこそこ聞ける状態になったところで、総裁から貸してもらったレコードを聴いてみる。



シューリヒト・パリオペラ座で、モーツァルト

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なんと典雅な演奏か!

音楽は息づき、厳しく、しかし喚くことなく心に染み入る。


こんな演奏を聴いてしまったら、他の演奏なんか泥臭くって聴いていられない。




私が持っているシューリヒトのレコードは、非常に少ない。

シューリヒトの素晴らしさをやっと知り得た時、時代はすでにCD全盛時代に入っていたんだ。

CDではとうとう感じることの出来なかったシューリヒトが、たしかにここにはいる。

私も再びレコードを買わなければいけなくなるのか?





ごんたどんは、シューリヒトのレコードを貸してくれるのに、

ほかのレコードも一緒に入れてくれていた。

今日、袋から取り出して、びっくりした。




ジュリーニのブラームス

パッサカリアとフーガ_e0080678_1364053.jpg




もちろん聴いてみる。


こういう機会を作ってくれることは、本当にありがたい。

自分ひとりで聴いていると、どうしても構えてしまって手が出にくい。





シューリヒトの後に聴いたせいもあるだろうが、

実に激しい演奏だ。


ジュリーニらしくないと言えるのかもしれないが、

いや、私のイメージが間違っているのかもしれないが、

厳しく、激しい。


身体に堪える。




しかし、途中で聴くのを止めてしまった。




どうもオルトフォンMC20MkⅡがその激しさに付いてこれない。





このカートリッジは、黄金の中庸という感触を持っているのだが、

それにしても、あまりに中庸すぎないか?




で、


またまた出てくる


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デッカだ



アームに取り付けた姿はあまりにブサイクだが、もう目をつぶろう。




ご存知のように、

デッカのカートリッジは温度差に強い。

少々の寒さにはびくともしない。



しかし、その構造からも判るとおり、あまりにもクリティカルだ。

正直に言えば、今まで使ったどんなアームでも、その真価を発揮したと言える自信が無い。

メーカー自身は、このカートリッジにはインターナショナルアームというはなはだいいかげんなアームを出している。


誤解があればいけないので書いておくが、あのアームのいいかげんさは恐ろしく深いノウハウの集積だ。

いったいあのカートリッジの真価を本気で発揮できる人間がどれほどいるというのか。

世間一般のオーディオファンとは言えない音楽好きが、いい音を聞きたくてあのカートリッジを買う時、100%でないにしても間違いなくその能力を発揮させるべく作られたのがあのアームなのだ。

数の知れた我々オーディオファンなど相手にするのは間違っている。

多くの音楽ファンにいい音を提供するのがメーカーとしての姿勢である。


メーカーとしての明確な姿勢とそのノウハウの結晶があのいいかげんなインターナショナルアームなんだ。



素晴らしいアーム。





インターナショナルアームを持たない私のようなオーディオファンは、

そのクリティカルな性格を乗り越えて、全ての性能を発揮させようとつまらない努力をする。

ほとんどの場合、それは蟷螂の斧だ。




デッカを鳴らすことの出来るアームは、SMEの3009シリーズⅢしかないと考え続けてきが、

とうとう私はSMEと縁が無い。



しかし今私には目の前にトランスクリプターのVestigal Arm(ベスティガル・アーム)がある。

このアームなら、あのデッカを鳴らしきることが出来るんじゃないか?



調整は、困難を極める。

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調整が進むにつれ、

デッカは豊かに歌いだす。


神経質さがとれ、あの独特の艶を聞かせ始める。



手で行える調整などたかが知れており、そのピンポイントを得ることなどまぐれ当たりにも等しい。



だがそんないいかげんな調整でも、着実に音は向上する。





いつも思うのだが、

アナログのこういうセッティングが進んでくると、音はどんなカートリッジを使おうと、似てくる。

もちろんカートリッジ本来の性格の違いは明確に有るには有るが、全体としての音の感触は、

似てくる。



どういうことか。



一般にカートリッジの音の違いとして認識されているものは、実はトラッキング能力の違いからくるものが大きいんじゃないか?



いいかげんなセッティングでも、性能が発揮できるカートリッジが、音のいいカートリッジとして認識されているように思えてならない。


本来のセッティングさえ行うことさえ出来れば、もっともっといろんなカートリッジが日の目をみるんじゃないか?




偏屈なオーディオファンのたわごとだけど。






以前から何度も言っているが、私自身はこのようなギリギリと神経をすり減らすようなセッティングはもうやりたくなかったんだ。



少々ぼんやりしてても、普通にレコードをかけ、普通に聞ければそれでもういいと考えてきた。





これをやりだすと、

音楽が聴けなくなる。








うちでは今でも当然のようにCDが上位にある。


音楽を聴こう




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バッハのオルガン曲。


パッサカリアとフーガ





ブロスのこの演奏は、過去のオルガン演奏家とは一線を隔すように思える。

シンセサイザーか?とも思える演奏なのだが、その演奏スタイルはともかく、

バッハへの肉迫するその精神においても過去の演奏家とは違う。

バッハ渾身のこの曲を聴くなら、ブロスがいい。

リヒターも、もう一度聴きたい。



実はブロスを聴く前に、リリングの演奏を聴いたのだが、

悪くはないが、そのいい意味での田舎臭さがこの曲には物足りない。



ああ、

そんなつまらないことなど考えずに

もう一度聴こう


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バッハを聴こう





そのあとは、ヴァイオリンソナタ

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by johannes30w | 2009-01-13 01:55 | オーディオと音楽


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