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2009年 01月 31日

外は雨

帰るのがすっかり遅くなった

雨の夜を帰ってきたら、気が付けば背中がびしょびしょだった。



やらねばならないことは、まだまだいっぱいあるんだけれど、

今夜はそんなことは忘れて、聴こう



バルビローリ指揮で、マーラーの5番

外は雨_e0080678_2253818.jpg





 夜、

 独りトランペットが鳴る

 
 答える者はいない




 音は深い夜にどこまでも吸い込まれていく







 突然、

 夜が巨大な響きでそれに答える
 




    ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・





マーラーのこの五番は、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で使われたことでその第四楽章アダージェットばかりが有名になっているね。



映画「ヴェニスに死す」の原作は、トーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」であることは誰でも知っている。

マンの「ヴェニスに死す」での主人公は、老作家のグスタフ・アシェンバッハ。



マンは若い頃、マーラーの第八交響曲の作曲家自身による初演を聴き、圧倒的な感銘を受けたと手紙に記している。
芸術家としての、ほとんど理想像をマーラーに見ていたようにさえ読み取れる。



マンが「ヴェニスに死す」を書いた時、その主人公たる老作家は明らかにマーラーをモチーフにしている。

マーラーの名前は「グスタフ」だ。









ヴィスコンティがマンの「ヴェニスに死す」を映画化した時、少しばかりの設定の変更を行った。

小説「ヴェニスに死す」では老作家だった主人公は、映画「ヴェニスに死す」では老作曲家になっている。



シェーンベルクと思われる人物との会話には、「美」についての思索が盛り込まれる。







それは、

美?

狂気?








主人公はヴェニスに向かう。

マーラーのアダージェットに乗って



    ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・





第一楽章の最後、再びトランペットが響く



返事は











悪夢にうなされるような第二楽章が始まる







私の異形たちもいよいよ目を覚まし始める



外は雨_e0080678_2255954.jpg



しかし、目覚めるのにそんなにかかってどうするんだといつも思ってしまう


20分くらいで形になり始め、60分でまずまず。

本領発揮は3時間くらいかかるだろうか。。。




これでも目覚めがいい機器を選び、そういう使い方をしているつもりなんだ




雨の日は特にひどいな。

でっかい箱が湿気を帯びるんだからしかたないけど・・・・




そういえば、うちの2220は、やってきた時はからきし鳴らなかったな。

もちろん新品で使い始めたわけではないが、それでも最初は全然鳴らなかった。



3~4ヶ月して、  お?  という鳴り方をし始めたっけ



前の居場所では、めったに鳴らされていなかったのかもしれないな


結局、こういう機器は、丁寧に、でもしっかりと、常にならさなくっちゃいけないんだろうな。

眠ってしまえば、起きるのにやたらと時間がかかる。




   ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・


目が覚めたくない時だってある








いつかは目が覚めてしまう



夢の中で、たゆたうようにまどろみ続けるのが芸術であり美なのであれば、

夢から覚めた現実は、あまりに軽薄で無意味な喜びに満ち、それへの疑問や不安も押し流してしまう。


そこにはポリフォニーがある。





   ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・




マーラーの5番はこの作曲家にしては珍しく強い歓喜に満ちた終楽章を持つという見方が大勢を占めるが、

この楽章が根源的にポリフォニーであることを忘れてはならない。

そういう意味でこの5番は、6番よりも7番に近いと言える。




バルビローリのこの演奏は、一般的には名盤として知られている。

でも、名盤と言っていいのかな。


若い頃は、この最終楽章の異様な遅さが理解できなかった。

他の演奏のように、歓喜に向かって走り、叫び、はしゃぐ演奏の方が理解しやすく面白かった。

一般的に勧める演奏は、そういう演奏の方がいいんじゃないかな。


バルビローリのこの最終楽章は、叫ばない。

ポリフォニーの一つ一つの響きに耳を傾けながら、

振り返る。


遅々として進まない歓喜の行進





何が真実?






  ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・



ブルックナーの響きに浸りたい時がある。


どうしてそう思うのかは解らないが。




八番や九番をビリビリ聴くのではなく、その響きだけに包まれたいと思う時がある。





八番や九番以外なら何番でもかまわないのだが、そう思ってレコード棚を探してみても、

そういう気持ちを納得させてくれる演奏は意外に少ないことに気付く。


外は雨_e0080678_2261259.jpg



ブルックナーの7番は、私にとっては理解しにくい交響曲だった。


一般的にはブルックナーの交響曲の中では4番と並んで最もポピュラーとも言える曲。

初演時も大成功を収め、それまで成功という言葉に縁の無かったブルックナーは、

この曲で初めて交響曲作曲家として世に認められた。



その成功も判るし、私だって好きで何度も聴いていた。

しかし、どうにも腑に落ちない何かが残ってしまっていた。





それが嘘のように氷解した演奏に出会った。




ヨッフムが、コンセルトヘボウと来日し、このブルックナーの7番を演奏した。



現実のコンサートというものは非常に難しいもので、

一流のオーケストラのコンサートであっても、本当に素晴らしい演奏と出会えるのは稀だ。


好きだから、性懲りも無くコンサートに出かけているが、

素晴らしい演奏だったと言えるコンサートは数えるほどしか無い。





ヨッフムとコンセルトヘボウのコンサートは、

私の全ての音楽体験の中でも最も素晴らしいものの一つだった。

コンサート前半でのワーグナーがその白眉だったが、

驚いたのは後半のブルックナーの7番だった。



それまで私が7番に持っていた未消化なものが、ことごとく解決された。



曲は、本当の輝きを持って私の前に現れた。





自分はヨッフムに対して偏見を持っていたんだと反省し、

当時次々と発表されていたヨッフムのブルックナーを買った。



何度も聴いた。



だが、

あのコンサートのあの演奏とは似ても似つかぬものだった。

昔からのヨッフムの、固い、剛直なブルックナーだった。



再び私はブルックナーの7番から離れてしまった。





私にとって、ブルックナーの7番は、あの時のあの演奏しかない。

あの来日公演の東京でのライブもCDで発表されたが、

やはり違っていた。







カミオカという人を、私はまったく知らなかった。

このCDが製作される時に、一騒動あったことだけは知っていた。




何が嬉しかったって、ここにはブルックナーの響きがあったんだ。

あくまでも私が考えるブルックナーなのではあるが、

現代オーケストラが失ってしまおうとしている響きがここにはある。








なぜこのCDを買ったのか、もう忘れてしまったが、

初めて聴いた時、それは望外の素晴らしさを持ったものだった。

この演奏なら、このCDなら、ブルックナーの響きに浸ることが出来る。



私にとっては先ずはそれが大切なんだ。






この曲の最大のクライマックスは第二楽章にある。

二つに引き裂かれた第四楽章。



それらもこの響き無しには解決し得ない。



いや、

やはりこの響きに浸っているだけでもいい。



それこそが、ブルックナー体験だと思えてならないから






この響きの中に浮かんでいたい






   ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・






ヴェニスは海に浮かぶ街


胎内回帰のように、羊水に浮かぶことを無意識のうちに望んでしまう人間が、

それゆえこの街を訪れる。


自分の居場所を失った人たちが、最後に訪れる街




トーマス・マンは、安住の地を持たなかったマーラーを、

この街に連れて行ってやりたかったのかもしれない。




芸術家としてそのままの姿で受け入れてくれる羊水の中へ







マーラー 交響曲第五番 バルビローリ指揮
マーラー 交響曲第六番 バルビローリ指揮
映画「ベニスに死す」 ヴィスコンティ監督
小説「ヴェニスに死す」 トーマス・マン著
ブルックナー 交響曲第七番 上岡敏之指揮

by johannes30w | 2009-01-31 02:26 | オーディオと音楽


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